Thursday, January 31, 2008

[廈門・600天] 離開 - 麻煩!

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

えっ?一昨年の六月、ここ廈門に入ってから六百日目?へーそうなんだ・・・。

麻煩! [ ma2fan5 あー面倒くさ! ] このところ雑用の山である。イヤ、雑用といっては失礼にあたる。いろいろな方と会って話を食を共にし、部屋の荷物の行き先をあの方この方へと聞き、新しい電脳を使いこなしデーターを移植し・・・と思いきや、電脳突然のダウン、理由もわからず、修理先から未だ戻ってきていない。もー面倒くさいのだ。

・電脳の話。一番金がかかっているのだ。聯想の製品。品質は高い。タブレットPCである。簡体字版である。OSの中身は一番下。間違ったかもしれないと感じたのはこの二つ。簡体字版のおかげで、中身のソフトがよく解らない。わかっても使い方が中途半端になってしまった。タブレットPCという、特殊な機能ゆえ、それなりのスキルを必要とする。それが理解できなければ元の木阿弥、普通のウィンドウズパソコンに過ぎない。

彼が修理工場へ出向いている間、タブレットPCについて探ってみた。やはり中文の頁はさっぱり訳がわからない。あまりに専門用語が多すぎる。仕方なく英語のサイトに飛んで見るもこれもやはり中途半端。結局一番理解できる日本語サイトを渡り歩いた。見栄は張るものでないなー・・・。

解った分かったよーくわかった。期待通りの機能満載だが、あまりに使い勝手が複雑な様子、あー面倒くさい。デスクトップ上に二つのソフトを常駐させておけばそれで済んでしまいそうなのに、オフィスというセットには、OneNoteというタブレット活用100%なやつは、どう見てもアタシには使いこなせそうにない。Jounalというやつ、これはイケそうだ。エディターに手書き機能がついたもの。なにより動きが軽そうだ。もう一つは付箋。一寸したスケッチもこれで済ますことができる。ボイスメモもポチッでできてしまう。これも軽そう。

おーこれでB5サイズの移動デスクトップが手に入ったぞー、あーまだ戻ってこないなー。新しいパソコンを使いこなすのさえ煩わしいのに、あー面倒くさい!

・部屋の処理。契約はあと四ヶ月残っている。一年契約だ。三ヶ月ごとに前金。デポされているのが一ヶ月。次回の前払い金は三月初め。それまでに出ていくつもりだが、デポが戻ってこないことになる。日本円五万円ほど。でかい。当地ではなおさらでかい。仲介屋に話をしてあり、彼女、別の客をつけて大家と話をしてみるという。つい先日客が部屋見に来た。若い男女。いい男といい女、男は金持ちのボンボンか、纏ったネイビーコートは当地でお目にかかったことがない。海外帰国組か。オンナはモデルのような肢体に尖った顔つき。二人、さっと見てさっと出ていった。きっと気に入らなかったのだろう。しかしどう見てもあの若さで高級レンタルとは、今の格差激高を垣間見た思いだ。

あー面倒くさい!年をとると億劫になるという話を昔聞いたものだが、今億劫状態である。

・買い込んだ什器備品、ハンガーいっぱいの衣服、それに二組の寝具、食器も常時四人会食できるセットが揃っている。電子レンジにミキサー、トースターに炊飯器。洒落たデスクスタンドにフロアスタンド。良き共に引き取ってもらおうとあれこれ甘い話をしていたところ、乳飲み子を抱える友、寝具と衣服は彼女の部屋で、それ以外は近くの親戚の家に山積みしてしまえ、と言ってきてくれた。それでも前回の引っ越しの煩わしさを思い出し、あー面倒くさい!

[ MEMO: 以前ご厄介になった会社が、ホテルの部屋用につくらせたデスクスタンド。大ボス、気に入らず、結局500台が我々に回ってきたものの一台。冷たく尖った感じはホテルには向いていない。アタシは気に入っている。 ]

Tuesday, January 22, 2008

[廈門・592天] 離開 - 値段の駆け引き

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

台湾への移転に向けて準備を進めている最中である。まずいま住んでいる部屋をどうするか。契約は一年、二月末までは支払い済み。残りの三ヶ月をキャンセルすればデポジットした一ヶ月分が戻ってこなくなる。何とかしたい。

台湾の仕事はネットワーク上で動く。ソフトプラットフォームでオーガナイズされていく。アタシは絵描きでもあるので、これらが簡単にネットワーク上のフォーマットにのってくれなければ困る。そこで手書きのスケッチなぞをスキャナーなぞ使わずに簡単に処理できるパソコンが必要になってきた。今のところ、コンシューマー向けにはタブレットPCしかない。これが結構高価なのだ。さあどうする。

そんな面倒を見てくれる人間は周りには一人しかいない。そこで久しぶりに登場いただいたのが乳飲み子を抱える若き人妻。産休で二月末まで乳飲み子の面倒を見ている。とはいっても、お手伝いさんがいるから気楽である。相談に乗ってもらった。部屋の処理もパソコンの購入も彼女が段取りよく話を進めてくれた。もつは良き友の代表のような人間だ。なぜ登場いただいたか、一つに面倒見がいい。一つは口うるささで会社でも超有名人。折衝事は彼女に任せるのが正しいのだ。それになによりアタシに優しい。

部屋の処理はどうも次ようにして進めるらしい。残りの契約期間を又貸しする。この又貸しを不動産屋も推奨していて、戻ってきたらまたわたしに声をかけてね、で何とかしてしまうらしい。前の部屋も今回も、二部屋あるものの、一部屋余っていたので、誰かが一寸泊まらせておくれといったときぐらいしか有効に使ったことがない。要は無駄だったのだ。老後のためにも小金を残さねば・・・。

パソコンはというと、IBMのThinkPadシリーズ、タブレットPC。もともとIBMのパソコンが高価な上に、輪をかけて高い。それでもモニターに直接手書きできるので重宝間違いない。日本語版か簡体字版か香港で英語版を入手するか検討した。問題は日本語入力。それも日本語入力IMEがオフィスから単独で切り離されたユーティリティーを簡体字中国語版に突っ込めば、日本語版並みに日本語入力できることがわかった。今後の仕事はきっと中国語圏で続けられるだろうから、最終的に大陸用の簡体字版に決めた。

問題はもちろん価格。一般般(中国語の先生、一般的というのをこう表現する。若い連中は多用しているらしい)のノート・パソコンが人民元で五千元から七千元、それがIBMの、となり、タブレット、となると倍以上に跳ね上がる。周辺器機を含めれば三倍だ。若き人妻、なぜそんな高いのを買うのだと文句を言いつつも、アンタ外国人だから高く買わされる、アタシが交渉するからね。

先日、二人で電子城に出かけてきた。前日、何件かの下見をしてきたアタシが手にしている店の価格表を見ながら、連絡先に値段を聞きまくっていた。価格表の価格を目処に勝手に安値をふっかけている。別の店はいくらだったよと、うそ八百を並べている。それでもここは中国、簡単にうちではできませんから他を当たってくださいなぞ一言も口にしない。相手もしたたかである。折衝には長けている。

当日、電子城のなかでIBMを扱っている店に片っ端から入っては、昨日話したでしょ、実際はいくらなの、さっきの店はこれこれだったよ、どう?売るの売らないの?底値がわかるとさっさと次の店へ。そしてまた折衝。目をつけていた店には最後に顔を出した。最後の店もたまったものではない、領収書いらないからね、オマケは何?結局アタシが目安としていた値から更に二千元以上も安く購入することになった。

それにしても、シラを切るように店を出る様は、とうていアタシにはできない。アタシならいろいろ面倒かけたね、の一言ぐらいいうだろうに、彼女、ぷっと身を翻して店を出て行く。店員はそこで、でいくらならば・・・と声をかけてしまう。これで彼女の勝ちだ。オー恐るべし中国女性!しかしそれでも店は損をしていないのだから、値切り前提で値段をいっているのだ。オー恐るべし中国!

アタシの手元の中国語教科書には、「値段の駆け引き」という一課があるくらいだ。これができねば中国人を理解したことにならないらしい。

[ MEMO: 手元に残っていたIBMパソコンの価格表と店の名刺。元値は聯想(IBMのパソコンを買収した中国のパソコンメーカー)のネット価格が基準になっている。 ]

Sunday, January 20, 2008

[廈門・589天] 離開 - 二奶(er4nai3)

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

奶(女偏+乃) 、乳の意味。奶奶で乳母、奶酪がチーズで奶油はクリーム、分かり易い。では二奶はというと一寸想像がつかない。二番目の乳母?となると二号さん、今風に言うとなんだろう。ふーん、そうなんだ。じゃ援助交際は?そのまま援助交際。不倫はというと乱倫、辞書には男女関係不正常とも書かれていた。不倫相手は情人。まもなくやってくるバレンタインデー、ここでは情人節という。

二奶の意味を知ったのはわりと最近のことである。友たちと気心の知れた関係になってからだ。友たちの話によると、ここ廈門には二奶と呼ばれる方々が少なくないという。当然古くから使われていた言葉だろうが、友たちが使うときは、言葉の前に「台湾人の」という文字がつく。廈門は特別経済特区、目と鼻の先の台湾から投資を誘導するために開発された町だ。財布いっぱいの札束を持ち込む台湾人と、物価の格差からくる割安感が、多くの二奶(女偏+乃)を生み出したのだろう。彼女たち、単身赴任の台湾人の身の回りの世話を焼いてくれている。

それほど台湾人はオンナが好きかというと、もちろんそんなことはない。なにしろカネがかかるのだから、誰でもできるというわけにはいかない。では中国人の金持ちはどうか、もちろん同様である。ではカネがなければ?小金持ちは内陸に向かうのだそうだ。経済格差が、臨海都市の小金持ちでも彼女たちを抱えることができる。では内陸の小金持ちは?辺境の少数民族。アーそうなんだ。みんな元気だし経済原理を心得ている。日本人にはそう易々とはできないのではないか。だから中国への投資も慎重の上に慎重を期す・・・。いやそんなことはないか、話によると、石材を扱う日本の方々はとてもお好きだというから。

援交も多いらしい。四六時中一緒は煩わしいという方々、時に一緒してくれればそれでいい。カネもそこそこですむ。不倫は?これが実に多いという。アタシも、それらしい場面を何度も目にしている。既婚女性の最大の悩み事は亭主の不倫らしい。かくいうご夫人も同様だというから手に負えない。みなとても元気、活力に溢れている。高度成長期、経済格差、かつて日本人がタイの内陸でハレムを持っていたとかいって騒がれたことがあったが、今の中国、元気なのだ。ただ、タイでハレムを築いた日本人、彼女たちの一族郎党を面倒みただけだといっていたが、アタシはどうもそうだったのではないかと思っている。日本人、酒池肉林となるには食い物が違いすぎる。

ではアタシはどうか。みなが、アタシの身の回りを見るものがいないのは心配だ、とあれこれいってくる。ある現場の男、ある時KTVに連れていった。金は出すからあとはオマエみなの面倒みろと。後日、福州の女性がアルバイトにくる、手元に置いてあげてくれといってきた。お返しのつもりらしい。屁理屈をつけてお断りした。面倒なのだ、脇に誰かいると落ち着かない。すでにそれが習慣になっている。ん、待てよ、援交があるなー・・・。(バキッ!)

つい最近、「喪失北京」という映画がネット上から消えた。かなり扇情的な場面があるからという理由だ(アタシ、そうなる前にダウンロードしております)。モデル上がりのゴシップだらけの女優が演じている。この映画、急速に発展する大都会を舞台に、なだれ込む地方の人間たち、新しい産業と市場、定まらないルール、新と旧。日本の六十年代のテーマだったなー。韓国と台湾が確か八十年代だったか。ルールが定まっていないから、カネさえあれば、何でもOK。中国、今が経済動乱期なのだ。それが実に面白い。去りがたい・・・。

[ MEMO: 高層マンションで埋まったと思ったら、今度は交通系統の整備が進められている。急速の増加する車は今や限界、外地から流入する人間を捌くため、島外に建設中の長距離バスターミナルと直結する高架道路が部屋の目の前で、それも二十四時間態勢で始まっている。なんと騒々しいことか! ]

Saturday, January 19, 2008

[廈門・589天] 離開 - 夜夜夜夜

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

といっても黒社会のことではない。歌の題名だ。シンさんが言うように、最近のアタシのblogには「・・・作文の背景となっている、いまの(抜き差しならぬ)状況が、表現にいつも一種の緊張感を強いている。・・・」のかもしれない。自分ではそのつもりはないのだが、端からは感じ取れるのかもしれない。心配いただいたが、アタシには歌という良き友がある。

「夜夜夜夜」は、先日KTVに出かけたとき、客に愛想を振らない背高で痩せぎすで顔がやけに小さくコミックスに出てくるような顔つきの歌手が教えてくれた。しみじみとした歌。だからといって演歌ではない。最新ポップスである。歌詞を紹介したいのだが、アタシには難解で真意がくみ取れない。どちらにしても悲しく空しい歌なのだろう。そんな歌にハマルのもなんだが、曲がいい、歌手がいい。元歌は大昔の台湾の歌だらしい。リメイクである。夜更けにこの記事を書いている今、ずーっと流している。聴いていて気持ちが落ち着く。

今日のe-news、「中国のネット人口が2億人を突破、農村部や未成年層・中年層で増加。ネット音楽の利用者は1億8,186万人規模・・・」

こちらのネット人口のほとんどがネット音楽の利用者ということだ。かくいうわたしも二億人の一人なのだが、今や中国のエンターテイメントは、ネットがなければ始まらない状態だ。最新トップ100曲にアクセスし、ポチして聴く。気に入ればその場でダウンローダー使ってパソコンか携帯へ。このネット人口には携帯利用者も含まれている。パソコンはまだ高価、では一寸携帯を奮発してMP3はもとより、ニュースも、有料だが、毎日飛び込んでくる。お金がいささか乏しい学生などが利用している。

「夜夜夜夜」、先日の中国語授業で先生に教えてあげた。至極気に入っていたのだが、この曲に限らずやけにはやり歌を知っているなーと疑問におもったらしい。「誰が教えてくれたんですか?」、「KTVの歌手」、「小姐?」、先生が意味する小姐とは、客と夜を共にして生計を立てているお嬢さんのこと、「まあそんなものでしょう」と当てずっぽにアタシ答えた。うーん、先生その手の方々を忌み嫌っているらしい。同性が春を売っている、許し難い種族だとおもっているのかもしれない。アタシにはそんな友もたくさんいるんですが・・・とは口にできなかった。台湾でもそうだったが、なかには本当にそうして一族郎党の口に糊せざるを得ないものもいるのだ。

「夜夜夜夜」、ye ye ye ye と発音する。何か、盛り上がってるぜ!、って感じのタイトルだが、中身は悲しいのだ。

[ MEMO: ネット上で「夜夜夜夜」のビデオクリップを探していたら、広州テレビ局が開いた「超女」(スーパーガール)という歌のコンテスト番組で一人の女性歌手にあたった。素人である。しかし声に艶と張りがあり、少しハスキーで、甘えがない。気に入った。元歌より好きになった。 ]

Friday, January 18, 2008

[廈門・588天] 離開 - 朋友

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

アタシは多くの朋友 (pen2 you3 友達 ) に感謝しなければならない。新しい仕事が始まるまであと一ヶ月以上あるというのに、至極落ち着いて廈門の生活を楽しんでいる。それもこれも多くの友人から励ましを受けたり、人や仕事を紹介されたり、落ち込んではいないかと食事に誘われたり・・・。

シンさんは定期的にアタシを心配してくれている。blogが中断するごとに、何?と問い合わせてくる。元麻布の姐姐 (jie3 jie5 ネエさん・あねさん )は口うるさい。一寸意地をはった言いぐさをすると、それじゃ戻ってくるな!と元気づけられる。他の方々からもいろいろとメールを送っていただいている。感謝の念に堪えないのだ。

台湾の大兄が生活の糧を保証してくれたのと、乳飲み子を抱えるこちらの姐姐が、ひとまず荷物を彼女の家に保管してくれる。これであれやこれやどたばたせずに物事を運べる。お二方にも感謝である。あとはあたしが倒れたとき、誰が面倒を見るのか、真剣に心配もいただいている。お手伝いさん、しばらくまえはわたしがいるからね、といっていたが、最近では、どんな容姿がいいかとか、年はいくつぐらいがいいかとか、誰かを推薦するつもりだろうか、いろいろ聞いてくる。アタシ、余計なお世話とも言っていられない年になっているのだ。

麗江の色魔、いや若造、四十前だというのに口先だけでも面倒見がいい。今後どうするのだ、仕事は決まったか、結構うるさい。元ボスが呼んだ仲間のうちでは一番取っつきやすい。ただ、アタシが友にする妹妹 (mei4mei5 お嬢さん ) にすぐ声をかけては電話を聞き出し、アタシがいない時を狙っては食事に連れ出しているようだ。廈門を離れる際は、これだけが心配の種だ(バキッ!)。

一方で、この地を離開しようというのに後ろ髪を引くものもいる。KTVの歌手、「神秘黒衣老板娘」とアタシが呼んでいる彼女、離職騒動もあって久しく会っていなかった。ここにきて急に携帯メールが飛び込んでくるようになった。店に来い来いとかなりしつっこい。こちらがタメ口叩いても懲りない。あまりにしつこいので閉店間近にちょこっと顔を出してきた。話があったのだ。彼女、この商売を続けたくないという。一族して彼女に頼ってくるらしい。今回は家の改造をするのでいくらいる、毎月の返済でこれだけなのだが・・・。小さいときから、すでに中学の途中からあちらこちらでいろいろな仕事をしてきたという彼女、中国語の先生、アタシやる、食事もできる、と売り込んできた。彼女とは、我が儘で身勝手ながら好朋友・良き友である。一寸心を動かされた。しかしモデルみたいな女性が四六時中脇にいるのも何だなー。

他にも多くの良き友がいてくれる。何はともあれ、落ち着いて行く末が考えられる。しかし彼らに対して、今後、どのような形でお返しができるというのだろうか。アタシにとって、良き友は最高の財産なのだ。

[ MEMO: アタシのデスク、仕事のテーブル、食事のテーブル、お茶のテーブル。マルチデスクである。ほぼ一日このテーブルから離れないことのある今日この頃。部屋はみな家具付きであり、あれが気にくわないとか言うわけにはいかない。それなら自分でご用意くださいなのだ。 ]

Thursday, January 17, 2008

[廈門・587天] 離開 - 移動の友

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

中国のビジネスマンは、即断で出張ができなければならないそうだ。商機は待っていない。ライバル会社より一時間でも一分でも先に客と顔を合わし、大風呂敷を広げたところから話は始まるのだそうだ。まあ日本でもそうなのだろうが、一応は相手先の都合を聞いてからにする。彼らお構いなしだ。まずその地に飛んで、会社のまえから携帯で今近くまで来ておりましてなんてかますのなぞ序の口である。アポ無し訪問もありなのである。

分け知らずのアタシ、一度その手に載せられたことがある。ある製造メーカーの人間から携帯が入った。あのプロジェクトのこの件だけど、会って話をしたい、今近くにきているのでどうだろうか。プロジェクトの名だけ聞いてハイハイと返事をした。会って話をしているうち、この売り込みは誰から聞いてきたのかと疑問がわいてきた。どこどこ設計院の誰それからだという。そうかそうか、で話を聞き終えた。翌日、また別の売り込みが連絡してきた。かれら、わざわざ通訳まで連れてきていた。誰の紹介かと尋ねると、設計院の誰それ、ん?昨日聞いた名前だぞ、どうなっているんだ。設計院の誰それに連絡を入れてみた。何のことはない、彼、口ごもりながらみなにそれ行けと話を通していたのだ。

打ち合わせの最中、ひっきりなしに彼らの携帯は鳴っている。次々に新しいビジネスの情報が入ってきているようだ。あたしとの話が終わればすぐ、飛行場に向かい、三時間四時間かけ、中国じゅう駆け回るのだ。すばらしいエネルギーである。そしてそれを支えているのが携帯電話である。時間と場所いっさいお構いなしの携帯電話、このツール無しでビジネスは語れない。

多くの連中は、プリペイドカードを挿している。使い切れば路地裏でも手に入るカードを購入すればいい。どこかに置き忘れ、他人が手にしようが使い切ればそれまでである。多額の請求書が送られてくることもない。ただ厄介なのは、域内をはずれると急に電話代が高くなること。人によっては、ビジネスの場所に応じた携帯番号を持っていたりする。まあ、カードを差し替えるだけという簡単さ、携帯を何台も持ち歩くわけではない。

アタシだってそれなりの準備はしている。おかげで国ごとのシムカードが溜まってきている。中国、香港、台湾そして日本。どの地でも使える3Gネットワークはワンナンバーですむものの、かなり電話代がかさむ。相手だって国外にいるアタシに易々とかけられない。というわけで、アタシのリフィールには常時三枚のシムカードが収まっている。

季節のお話し。先日は春の七草を喰らう日ではなかっただろうか。小正月といっていたと思う。毎日の気象予報を届けてくれるメールサービスで知らされた。ところがである。こちらでは七草でなく八草なのだ。お手伝いさんにその話をしたところ、オー忘れていたと言って八草の名を教えられたが、まったくもってちんぷんかんぷん、何の草なのかわからなかったし、お粥も食べそこなった。

[ MEMO: シムカードを売り出している会社が無数もある。サービス内容も様々。長距離サービスに長けているところ、国外へのサービスが充実しているカード、いろいろあってどこのどんなカードを買えばいいのかわからない。先日、国際通話可能のつもりで買ったカード、すでにサービスを終えているにもかかわらず売り出していたものだった。おかげで国内通話、使い切れないほどの金額になってしまった。 ]

Wednesday, January 16, 2008

[廈門・586天] 離開 - 滞在許可-II

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

住めば都なのか、道理なのか、アタシはなぜか日本への郷愁を感じないでいる。特に不自由もない。訳ありで国を飛び出したわけでもないので「ペペル・モコ」のように望郷の念もない。定年退職退官があるわけでもないので、「アラビアのロレンス」のなか、老将軍が、アラブ連合政府の自壊を待ちながら、執務室で退官後に思いを馳せ、釣りの指導書を片手に竿振りの練習をすることもない。この地でやり残したことはまだあるのだ。

昨年の十二月はじめ、広州に飛んだ。広州の日本領事館を訪れ、新しいパスポートを受け取るためだ。受け取ってすぐ、その足で香港に向かう。あちらで待ち受けている人間が、今度は中国本土の滞在許可証、ビザを更新する。その間の半日は、デブのアレックスと久しぶりに一緒する手だてがすんでいる。夕刻までに手続き完了すれば、最終便で廈門へと戻る、一泊二日の強行スケジュールである。

なぜ強行スケジュール。理由は簡単。会社は年七日間の有給休暇を与えている。それを超えると日割りで給与が減らされる。これがバカにならない額だ。アタシの場合、会社の中国人新人事務員一ヶ月分の給料に近い。こちらに来てかなりケチになった。周りにあれほどケチな台湾人がウジョウジョしていればそうもなるだろう。断っておくが、台湾人全てを称していっているわけではない。この会社の、と断りを入れなければならない。なぜそれほどまでにケチなのか、理解の度を超している。自分に投資することも、周りに配慮することもしない、いざとなったときに誰が手助けをするというのだ。アーまた愚痴ってしまった。

早朝、広州の領事館で受け取った新しいパスポートは分厚かった。申請時に本籍地の丁番変更先がわからず、古いまま書き込んでいたが、問題無しは助かった。ICカードが埋め込まれた部分は一ミリもあるだろう。それに、これからは台湾香港中国日本との移動も多くなるやもしれないと、増刷もしておいた。計1240人民元、オー安くはないぞ。二万円近くになる。それでも、日本へ戻って手続きをするよりか、はるかに安上がりなのは当然である。

厳重な警備の領事館を出、ホテルの一角でお茶で一服、直ぐさまリムジンバスで空港へと戻る。広州白雲国際空港に早朝八時に着き、市内から戻ったのが十二時時ちょっと過ぎ、僅か四時間足らずであった。・・・(続く)

話は戻って、以前の会社には、訳ありで台湾に戻れない方々もおいでになる。戻ってもいいのだが、再度国外に出るのはまず難しい、いろいろありだ。んー、止められない東アジアの旅であります。

[ MEMO: 昨年末の台湾新竹市郊外、古き日本時代の民家を改装した客家料理店。雰囲気良し、女将美形、あじ至極美味、三拍子揃ったアタシ推薦の店。機会がもてる方、是非味見してみてください。 ]

Tuesday, January 15, 2008

[廈門・585天] 離開 - ソフトウェアビジネス

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

七年ほど前のこと。台湾であるプロジェクトに参加した。始まりは簡単、予算オーバーで開発が止まりそうなホテルの計画をどう進めるか、見直し作業である。仕事を進めるうち、CM(コンストラクション・マネジャー)の現場分析資料から、乾式工法のプレファブ化するのが最も有効だとわかった。アタシはデザインは誰がやってもいい、そのためのデザイン・プラットフォーム作りをすればいい、とCMと二人、作業を進めた。

結局、このプロジェクト、デベロッパーの資金が続かず中断されてしまった。このときのデザイン方法、それ以降、CMは地道に進めていた。七年間、台湾の停滞した経済状況もあり、応用問題に進めないでいた。CM、彼はデザインではなく、工程管理、彼の専門分野で小さな仕事に取り組みながら、ミサイルの弾道工学出の男と二人、少しづつ少しづつノウハウをため込んでいった。この方法、社会的にも徐々に認知され始めていった。

CM、頑固である。全てを電脳とネットワーク上で作業するという、かなり強引な方法を採用した。関係する人間、グループ、会社、みなが一つのプラットフォームを使う。全てのリソース、お金、時間がこの上でコントロールされる。時と場所に左右されないプロジェクト・マネージメント・ソフトウェアを構築したのだ。昨年暮れ、台北の彼の会社の会議室で、彼は現在提供している建設会社の現場の状況をパソコン上で見せてくれた。画面の片隅には、リアルタイムで現場が映し出されていた。ひっきりなしに入るメールを、その場その場で返答していく。電話での対応は最小限だという。

ここは開発会社でも建設会社でもデザイン事務所でもない。客が必要とするマネージメント・システムをパーソナライズし、サーバーを貸しているのに過ぎないソフトウェアカンパニーなのだ。固定資産を必要としない身軽な会社なのだ。ん?そういえばアタシが長年お世話になった日本有数のデベロッパーもそんな会社に転身するのだとその昔語っていたっけ。バブル崩壊でガタガタになったとき、トップの決断はフィービジネスに方針を展開すると言ってたっけ。自分では資産を持たず、人の金を有効に運用するお手伝いをするのだと。おかげで今ではライバル会社を引き離し始めているという。

で、アタシの出番は?工程管理に不確実な回答は少ない。科学的合理性みたいなことで解決できる。では企画やデザインは?無から有を生むのってどうするの?みたいなことがついて回る。マニュアルにないことをマニュアル化する、ってこと。目星はついている。あとはできるだけ多くのデザインシートさえ用意できればいいだけだ。

今では、台湾のデザイナーのなかには、優秀で、仕事が速い人間も多い。さらに、その背後には、大陸という途方もなく大きく、人材の宝庫がある。オー、夢はふくらむぞ!アー、時間切れかー。まあいいか、誰かが引き継いでくれればそれでいいのだ。

[ MEMO: 携帯を換えた。最新のノキアだ。中国語版。でどう使うのかって?それが日本語の入力ができるフリーソフトがあるのだ。日本へはそふバンクのシム、なんて必要がなくなった。一台ですべて処理できる。オーうれしいぞ!(古ーいボーダフォン702NKIIでとったらぼけていた。) ]

Monday, January 14, 2008

[廈門・583天] 離開 - ビジネスの仕方

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

一年以上会っていなかった小白瞼(本来は月偏)( xiao3 bai2 lian3 やさ男 美少年)がアタシに会いたいと言ってきた、と元秘書。何の事やらと思いつつも出かけて食事をご馳走になってきた。日本料理店。ここの日本料理、大部分が台湾人経営者で台湾味。マヨネーズが多用されている。アタシャやだよといったものの、板前は日本人だというので食してみた。

おー久しぶりに口にした刺身とにぎり寿司、赤身のマグロがここにはある。あっさり味の赤身、こちらではなかなか口にできない。みなトロだトロとうるさい。脂がのっていないとヤダという。赤身の味がわからない。それにみそ汁だって悪くない。愛想のいい小白瞼と二人、〆て二百人民元。約日本円三千円、物価の比率で言えば一万円一寸か。上がりを飲み干し、小白瞼、家はこのマンションの上だ、寄ってけという。

建物内部は少々薄汚れていた。鉄の扉を開けると、メゾネット形式。きつそうだが、そこに六室の個室が設えてあった。各部屋にシャワー付きのトイレ、綺麗にベットメークされ、ピンクとブルーのひと組のスリッパ、二枚のタオル。下の部屋がいわゆるラウンジ、電脳もテレビもある。インターネット接続も可能だ。仲間二人がわたしを出迎えてくれた。そう、ここはプチ・ホテルなのだ。

この小白瞼、アタシが初めてあったときはあるホテルの人事担当をしていた。大学での専攻もホテル関連。上海、廈門と仕事を渡り歩き、今年になって友人から部屋を借り受け、何人かから投資を受け、改装し、仲間と運営、ホテル経営者になっていた。彼、僅か二十六歳、日本でいえば二十五歳に過ぎない。ここでもアタシ、ビジネスの仕方を教わった。

彼がアタシを誘ったのは、この、小さなホテルを見せたかったに違いない。アタシができないことをサラッとやってのける人間をアタシは尊敬する。年齢も性別も関係ない。数年後、彼のホテルは更に充実しているに違いない。いずれはファイブスター、を手にすることを目指しているのだろう。楽しみである、と同時に彼ら、中国の若者たちの飽くなきエネルギーに目を見張らされた。

[ MEMO: 何とか生きながらえている我が家のジャスミン。一年一寸前、亭主から不条理な仕打ちを受けたおネーさんチの帰りに購入したもの。今では意味をなさなくなった。彼ら二人、別々に台湾に戻っていった。裁判を受けるために。 ]

Saturday, January 12, 2008

[廈門・582天] 離開 - 一寸先は・・・

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

先が見えない、ここ一週間、家のバルコニーからの眺めは一寸先は闇状態。春先の廈門の光景だ。昨年末、台湾から戻ってからの毎日、のんびりどころではなかった。自分の始末もままならないほど、あの人この人あの野郎と呼び出しがかかった。面白いものだ。

一寸先が見えない。わたしの今後を心配してくれる方々、残り少ない日々を一緒したいというお嬢さん方、わたしのささやかな人民元を目当てに投資を持ちかける奴ら、いろいろだ。投資を目当ての連中、はじめはなぜこの期になってコンタクトしてきたのか、目的が見えなかったが、会って、飯を食って、話をされれ見せられて、あーそうか一緒に金儲けしようよということなのかとわかった。彼らは敏い、ビジネスってそう進めるんだと教えられた。いい勉強になっている。

「廈門に死す」なんて気分でいたものの、その前に身ぐるみ剥がされそうだ。ひとまず場所を変える決心をした。つい先日、台湾の大兄から電話が入った。「・・・手伝ってもらえますか?」。投資話に呆れるやら疲れるやらしていたところだ。二言はない。蘇州のオバサンの話も、上海の不可思議な台湾人の話も、廈門のガッコの先生との話もバイバイできる。好きなことができる。この年だ、好きなことだけしていればいい。そうすることにした。

ガッコの先生、廈門の一流会社の会長さんと繋がって何かしようよと、ここ二ヶ月話を進めてきた。アタシは「緑」、グリーンエバリュエーションに取り組みたかった。中国はその時期にさしかかている。市場もある。大きな市場は大きな会社が取り組めばいい。アタシはニッチでやってみたい。ガッコの先生、乗り気になっていたのだが、話が進むにつれ、事がどんどん大きくなっていった。人民元二百万から三百万かけて会社を設立し・・・。オイオイ日本円三千万から五千万だぜ!いくら金持ちの仲間が周りにいるとはいえ、話がでかすぎる。

もともとガッコの先生、大がかりな設備投資をし、工場を建設し、製造部門に関わりたかったらしい。そう易々とできる話ではない、とあたしは思っていたのだが、それそこは中国、まずやってみる、駄目ならまた振り出しに。老後をささやかに過ごしたいアタシにはとても遠いお誘いだ。台湾の大兄の電話と共に、この件は封印することにした。

「廈門に死す」、この一言を捨て去るつもりはない。いつの日か、またここにやってき、隣接する農村地帯で古農家を手にし、千葉の片田舎で味わったような生活をネココと共に過ごしたい・・・。

[ MEMO: 霧が出ると霧笛が聞こえてくる。波止場は目と鼻の先、今日は土曜日(失業の身、あまり関係ないか)、隣の島にでも出かけてみるか・・・。 ]

Tuesday, January 1, 2008

[廈門・571天] 離開 - 元旦快楽!

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

きっと日本は賑やかなんだろう、そう考えると一寸寂しい新暦の正月である。いつもなら一人が当たり前、それが今日は一寸気分が落ち込んでいた。らしくない、と自分で感じながら、日本でいう秋葉原、電脳街で新しい携帯を見に出かけた。3Gのネットワークがまだない中国に、香港から、3Gの使える携帯が入り込んでいるのを探すためだ。残念ながら見つけることはできなかった。

当地でお世話になった方々や、友人たちに新年の挨拶をショートメールで送った。パソコンがあればe-mailで、というところだろうが、ここ中国、個人のパソコン所有率はまだまだ低い。代わりに誰もが持ち歩いている携帯電話、至極便利なものがある。基本料金のないプリペイドカードが主流。携帯をなくしても被害は少ない。日本と違ってキャリアからの縛りもないし、海外に持ち出しても、現地のカードをさすだけで使える。

すぐに返事が来た。北京から河北から、蘇州から廈門の北から、そして廈門の人たちから。北京からは、以前ここ廈門の珈琲店で働いていた妹妹 ( mei4mei5 お嬢さん ) 、懐かしそうに春節には廈門に遊びに来るといってきた。食事をおごってね、と催促も忘れないでいた。河北の友はスカイプの友、彼女とは久しくやり取りをしていなかった。彼女が転職を境に気持ちが動揺していたからだ。久しぶりねと一言付け加えていた。蘇州のオバサンはさすが大人、自分の名前のあとにちゃんと”敬賀”の一言をつけていた。

送らなかった人も、事務所のボスが伝えたのか、先日台湾を訪れた際、会食の席で隣り合わせの彼からも届いた。三年前、一緒に夜遅くまでああでもないこうでもないとやり合った仲だ。昔の仲間、元運転手、いまではわたしの住まいの近く、迷路のように入り組んだ老街に小さな店を構え、手軽に着こなせる衣服を売りさばいている、その彼からは電話が入った。わたしが離職したことを知って少し意外だった様子。遊びに来いといってきた。

わたしの新年はこうして始まった。

[ MEMO: 毎年毎年同じテーマのオジサンに新年の挨拶をしてもらいます。このオジサン、七年ほどまえ、台湾で仕事をした際、英国人英会話の教師がおくってくれたもの。あいつどうしているかなー。政治の舞台で通訳をしたいといっていたけど・・・。 ]