Monday, December 31, 2007

[廈門・570天] 離開 - 日だまりの午後

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

日本は今年最後の日、廈門では一番寒い冬の一日を迎えている。久しぶりにのんびりした午後、テラスに出て向かいのコロンス嶋を眺め、新年の挨拶文を作成した。二週間前は新しい事業をどう展開するか、ガッコの先生とあれこれ、一週間前は台湾に出向き、新しい仕事、デザインシステム構築の可能性について打ち合わせをしてきた。あれやこれやこちらの正月、春節までに居場所も仕事もみな決めなければならない。

みなが聞いてくる、「辛いでしょう」、「(会社に対して)怒っているでしょう」、「お金(給与)はちゃんと精算してくれましたか?」。辛くも怒ってもお金の心配もしていない。いいころ加減な時期になっていたのだ。新しく可能性のあるやりがいの仕事ができることを喜んでいる。

礼儀をわきまえない台湾人が大口を叩き、「仕事がなければすぐ(今の会社を)辞める!」、「辞めると口にしたらそうする!」、「麗江に家を買って老後を過ごすのだ!」、「(会社の人間とは)友人づきあいはしない!」といっていたのが、いつの間にか辺り構わず愛想を振りまき、ボスにヘコヘコし始めたのは、直接のボス、わたしたちを引き込んだ元ボスが去るからだ。目の上のたんこぶが消える。

元ボスは北京に行くという。しかし彼は疑っている。三週間ほどまえ、国内最大の建設会社から国賓並みの待遇を受けて戻ってきた。出来過ぎているとわたしに語った。出向いていっても、お飾りで終わってしまいそうだと話してくれた。オリンピック施設の建設はもう完成間近だ。国内大都市の狂気の沙汰とも思えたマンション価格も頭打ちとなった。すでに各所で値下がり始めたという。国は今後、低所得者向け住居の充実を公言している。方向転回、先が見え始めた。

今日が最後のこの会社、ここも石化工場、PXの移転という難題に立ち向かわなければならない。ほかにも開発部門のプロジェクト、廈門最大の案件は、いまだに設計も終わらず、建築許可もどうなるかわからず、会社内部で予算執行の先行きも見えていない。みんな不明瞭な状況にある。わたしは落ち着いて周りを見ることにしたい。

久しぶりにのんびりした午後、日だまりのテラスは気持ちがいい。勝間の、冬の縁側を思い出した。ただ残念なのは、わたしの周りにネココが見当たらないことだ。

今日は大晦日、良い年をお迎えください。ここ廈門で大晦日は意味をなさない。みな旧正月の熱気を待っている。ひと月後、私も熱を帯びざるを得ない。

[ MEMO: 今日が最後の本社ビルの回廊。影のボスを象徴するようなデザイン。感慨はない。ビルを取り巻く庭園にやってくる小鳥たちの姿と鳴き声が聞けなくなり、代わって家の中にまで入り込んでくるMRT工事の音と、上の階の住民がたてる音に悩まされ始めた。それももう少しの辛抱だ。 ]

Saturday, December 29, 2007

[廈門・568天] 離開 - 離職者たち

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

先ほど以前の同僚から電話が入った。離職したと。離職したのは彼だけでなく、部門の半数が今日をもって離れたのだそうだ。この部門、企業集団の核をなすところである。石油化学部門、稼ぎ頭の部門、その工事を管理する人間が半分になる。なんてこった。

廈門市の肝いりで進められていたプロジェクト、環境問題で市民の反感を買い、半年間中断していた。その解決、場所を廈門から遠い場所、人家の少ない半島への移転が先日決まったところだった。計画は一から出直しになったのだろう、建設は少なくとも一年以上先になるはずだ。余裕のなくなった会社が、余剰人員として退社してもらったようだ。

電話をくれた彼、会社の喫煙場所で知り合った。「七匹狼」という煙草を愛煙していた。あだ名はもちろん七匹狼。客家人の多く住むミン西の出、彼も客家人である。彼の上司、KTVをこよなく愛した台湾人の経理は三ヶ月前に離れている。

環境問題がここ中国でも大きく取り上げられるようになった。京都議定書の頃にはそっぽを向いていた中国、ようやく方向を転換し始めた。いいことだ、と同時にアタシとガッコの先生が考えていることが受け入れやすくなったわけだ。それだけではない、台湾の時流、流行は「緑建築」、開発案件の売り言葉になっていた。先日訪れた台湾の地方都市郊外の別荘開発では、棚田をそのまま残しながら、ビオトープ、有機野菜畑、既存樹木の保存、を盛り込んでいた。パンフレットには、生息する小動物、昆虫、野鳥、などの紹介、有機野菜を使ったレストランの案内図などを盛り込んでいた。やるもんだ。ただ、日本円にして一件一億近い。この物件を手にできる人間だけがキャッチフレーズの「半農半職」を味わえる。可能なのだろうか。

「グリーン」が売れる、そうあってほしい。今後、石油化学を売りにしなければならない企業はつらいだろう。去るならいまのうちである。しかし同僚たちは今後、どのような道を歩んでいくのだろうか。

[ MEMO: 台北には廈門本島の人造湖脇にある別荘を店舗に改良したような雰囲気の場所はない。ここは落ち着く。珈琲一杯が30元近い。日本円で500円、同じではないか。ベンツにBMWにレンジローバー、時にフェラーリが止まっていたりする。 ]

Wednesday, December 26, 2007

[廈門・565天] 離開 - 再会

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

台湾滞在三日目、二年ぶりの再会、三十年来の大哥(アニキ)と二ヶ月間世話になった事務所の連中、そしてLuLu。LuLuはサンドウィッチ屋さんの名前。今日の昼、ここでツナサンドと今日のスープを口にした。

大哥はそれとなくわたしの離職を知ってか、今月初めに廈門に連絡を入れてくれていた。「いつ台湾に来ますか?遊びに来てください」。いま目の前にその大哥がいる。大哥はわたしの近況を、行く末の話を聞き終えると話し始めた。

「わたしたちで取り組んだパラオのプロジェクト、あれから七年、あのときのコンセプトがここまで充実してきました・・・」と、最近とりまとめたというネットワークデザイン&マネージメントシステムを見せてくれた。パラオのプロジェクトの時は、紙の上で行こなっていた作業が、目の前で、パソコンに組み込まれたコンポーネントを用い、彼らによって作り上げられたプラットフォーム上で展開されていった。

辛抱強く、無理をせず、七年間かけた成果だ。この成果をあるプロジェクトに応用し、確実なものにしたいという。どうだろうか、興味があるだろうか、参加してみないか、と話しかけた。大哥は不確定な話しはしない。はっきりするまで口にすることはない。その大哥が口にした。断る口実はない、いや廈門を棄てるのは忍びがたい。しかし廈門の仕事も大哥が背中を押した仕事である。その彼が再度背中を押してきた。

棄てる者あれば拾う神あり。さてどうする、廈門のガッコの先生との話は始まったばかりである。二兎追うもの一兎をも得ず。しっかり腰を据えて考えねばならない。人生最後の取り組みなのだから。

もし台湾に移り住んだらどうだろう、「老後の面倒はわたしがみるから廈門に住みなさい」とささやいた乳飲み子を抱える廈門のあねさん、残念がるだろうなー、と変な心配をしてみたりした。

[ MEMO: 三年前世話になった事務所のヒロインは変わらず美しかった。食事の席、脇にやってき、わたしの頬に優しく口づけをしてきた。大人だなー。廈門では出逢うことのできない女性だ。 ]

Tuesday, December 25, 2007

[廈門・564天] 離開 - 滞在許可-I

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

十一月末、広州に飛んだ。広州の日本領事館を訪れるためだ。辞職勧告も知らされていなかったこのとき、中国滞在のビザが切れる十二月八日まえにパスポートを更新しておきたかったからだ。パスポートも来年二月に切れる。三ヶ月後に切れるパスポート上に一年のビザを載せることはできない。一日休みを取って日帰りの広州への旅だ。早朝七時の便、廈門から僅か一時間の広州へ。空港の外に出ると、目の前に市内直行のリムジンバス。下りたところが日本領事館の入ったホテル。領事館の女性の指示に従い、書類に必要事項を記入し、近くで顔写真をとり、昼前に手続きは完了。直ぐさまリムジンに乗り込み、空港へと戻った。

会社から日本の旅行会社に電話を入れた。三十年来の付き合い、そういえば彼女、五十の大台に乗ったのではないだろうか、その彼女にパスポートとビザを更新したい、日本で要する日数はと聞いてみた。彼女、「二週間ちょうだい」。とてもそんな長期間休みは取れない。公休を取っても、月給の四分の一が吹っ飛ぶ。でかい数字だ。「オイオイどうにかならないのー、何かツテはないのー」と懇願すると、「あーそうだ、確か現地で更新できるはず、聞いてみる」と返事。できるのだ、いまは、簡単に。

まずウェッブ上、中国大使館のなかを探してみる。おおよその見当がついた。電話で直接確認してみる。「中二日で可能ですよ」。広州領事館の返答。本籍地さえ変わってなければ、パスポートの更新は、いま有効なパスポートと一枚の顔写真と書類一通、これで丸三日でOKなことがわかった。日本に戻れば、行き来で二日、パスポート更新に五営業日、ビザ取得に二営業日・・・。

とりあえず手続きだけは進めておこう、そのあと、パスポートを更新したその足で香港に飛んでビザを更新しよう。ビザ更新は、これまた昔なじみの旅行社さんが現地の人間を紹介してくれた。現地の彼曰く、十二時まえにパスポートを渡してくれれば、夕刻六時にビザを取得できるという。それもロングステイの。そうか、中国がらみは香港か、みな香港に飛ぶ理由がわかった・・・。(続く)

[ MEMO: 台湾の大兄、全て段取りを整えてくれていた。春節以降、わたしが同意すれば、大きなプロジェクトがまっている。廈門はどうする?離れがたい。台湾のプロジェクトを終えてから戻るか? ]

Monday, December 24, 2007

[廈門・563天] 離開 - 聖誕快楽!

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

「聖誕快楽!」。今日はこの一句がSMS上で飛びかっている。何はともあれ一つの節目なのだ。わたしも節目に乗ることにした。ただし、わたしは廈門にいない。

五日間の予定、大陸での仕事の件を検討するため、いま小雨の台北にいる。町もホテルもクリスマスで賑わっていると思いきや、そんな気配は微塵もない。ささやかなイルミネーション、小柄で美形だが、いささか厚化粧のホテル嬢は、「若者の日よ!」と口にした。彼女、三年前に長逗留した際にもいたのか、記憶は薄い。ただ、「アナタの記録が残っていますよ」と彼女は答えた。

昼過ぎに廈門を発ち、マカオ空港でトランジット、そして台北へ。廈門空港にしろ、マカオの空港にしろ、小振りなのがいい。変にばかでかくなく、人の群れでごった返す様子もない。マカオ経由の他に、香港経由も便がよく、台湾人はこのルートを利用している。最近では、国内空港から金門島へ、そこから船旅で廈門というのが安く早いと好評のようだ。但しアタシのような外国人は利用できない。

空港に着きすぐに手を打ったのが、携帯電話のプリペイドカード。いまではアタシも中国人並みのライフスタイルとなり、携帯電話なしでは何もできないでいる。何事も早く早くそして安く。中国での商売は迅速がモットーなのである。日本円で約千円のSIMカードを購入し、大陸のカードから差し替えた。

リムジンバスに乗り手当たり次第ショートメール、「聖誕快楽!」。視線の高いバスの席から見る台北の夜はどこか落ち着いて見えた。町中が駆け足だった時代は終わったのか、イブだったからかそれとも雨のせいだったのか・・・。

[ MEMO: 唐詩の件で張り合ったスカイプの友、出がけにパソコンを立ち上げると文字絵のクリスマスツリーを送ってくれていた。洒落ていた。 ]

Friday, December 21, 2007

[廈門・560天] 離開 - 開始

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

シンさんからは実にいいタイミングでメールが届く。今回もそうだ。丁度、アタシの生き方にいくつか方向が見えはじめたときに受け取った。返事をしたためたが、この際だ、blog更新のネタに使わせてもらうことにした。まあいい加減なジジであります。公開する関係で、内容は一部書き換えております。


現況報告:いくつかの選択肢が考えられる。ごく常識的に、わたしの専門である建築の企劃設計の仕事を続けること。お二方から話あり。まだお会いして話をしたわけではなく、一つの話で来週台湾に行ってくる。もう一つは春節まえに上海あたりで。とはいえ、食っていくにはいい仕事かもしれないが、やり残したいこととは一寸違っている。

ほかの話:もともと東京を離れ、千葉の片田舎で畑に取り組んだのは、四角張っていえば、環境とエコロジーに関わりたいと思っていたから。ガッコの先生と進めている話はこの件。こちらの大手会社が支援してくれるらしい。ということで何度か話をした。しかしガッコの先生がやりたいことと、わたしがやりたいことに差がある。彼は大きな製造に関わりたいらしい。日本の先端技術を移入したり工場建設したり・・・。さすが中国人、話は大きい。わたしはささやかである。再利用とか自然エネルギーとかをキーワードにしていきたい。

関連した話:廈門で会社を。ガッコの先生なり彼の仲間と投資して小さな会社を開く。わたしはニッチで面白そうなものに関わる。廈門に拠点を置きたいならこの方法が一番可能性が高い。場合によっては、建築がらみの話しもここで受けられればいうことなし。

関連した場所:今週末、ガッコの先生とある建物を見に行く。どうやら親戚が持っているらしい。低層で、三十年代の上海あたりの雰囲気らしい。ここをオフィスなりショップなりに使えるかどうかを見てくる。住むにもいいかもしれない。家中植物で埋め尽くしてみたい。猫も子猫も養えるかもしれない。(バキッツ!)

数年後のアタシ:ここ廈門には、老外(西洋人)の開いた店が多い。大部分はレストランとかスナックとかスタンドバー。まあそれなりにみな雰囲気がある。アタシにもそんな姿が考えられる。オフィスにはシンさんの絵が飾られることになるだろう。

協力者募集:したいと思っている。但しできることは限られるだろうから、大きく張ることはしたくないし、みんながやってきて楽しく過ごせる環境にしたい。貴兄は絵かな?どうだろうか、面白い展開はできないだろうか、シンさんの智恵をお借りしたい。

これからは体力勝負、いまでは送り迎えの車もなし、公衆バスでの移動だし、一寸した距離なら歩いて移動している。一時間半かけてコーヒーショップを行き帰りしたりしている。シンさんのテニスとまでは行かないが、かなりの運動量になっている。おかげでこのところ体中の筋肉が痛む。

ではでは・・・ 廈門のジジ

[ MEMO: 唐詩の件で張り合ったスカイプの友、遠回しに心配してくれているようだ。彼女のメモ欄に "PRISON BREAK?..." ]

Monday, December 3, 2007

[廈門・543天] 離開 -1

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

今日、東京のシンさんからメールが届いた。今年の寒さが紅葉をいつになく美しく見せているとあった。返事をしたためた。

「実にいいタイミングでメールを受け取っております。

本日、辞職勧告を言い渡されたのであります。ながーい権力闘争がついに私にまで及んだ次第なのであります。一時期は何とか収まったと思っていたものの、深いところでは続いていたのでした。まあのんびりとした一年半だったので、愚痴の一つもでてきませんし、一寸休暇を取ってから、失業するわけなので四六時中暇になるわけなので休暇とは言いがたいものの、今後何をしていくかに思いを巡らせようかと思っております。

ただ厄介なのはビザ、会社にいたときは一年という優遇されたビザがとれたので
すが、今後はせいぜい一ヶ月、その都度国外へと逃れなければならない。面倒だし、なにより金がかかる。失業の身には堪える。この数週間の間にあれこれ始末をつけなければならないのです。

この一年半、わたしはここ廈門で多くの友人に恵まれました。例えばガッコの先生とか、可愛く我が儘な秘書とか、面倒見のいい下町のおネーさんのような人妻とか、隙あらばわたしを仕留めようと狙っているお手伝いさんとか、口うるさく意見する台湾人の医者とか・・・とても貴重な財産がここにはあります。それを棄てる気は今のところないのであります。台湾人たちが、内にこもってカネ稼ぎに追われているのを見るにつけ、人という財産があたしにはあることをとても誇りにさえ思えてくるのであります。

差し迫った問題はビザ、とりあえず一度日本に戻ることになるやもしれません。もしかしたら靖国参拝に加わることができるかもしれません。状況がはっきりした時点で連絡を入れます。

とりあえずのご報告です。ではでは・・・ 廈門のジジ」

[ MEMO: それにしても突然の勧告、ビザの問題がなければどーってことなかったものの、いやはやまったくもってこの会社は管理システムがなっていない。困ったものだ。 ]