Saturday, March 31, 2007

[廈門・295日] 走る格好が違う!

実はイヤな予感がしていたのであります。昨日、ボスから今日午前十時、現場にて最終確認をしようではないかと。今日という日は廈門国際マラソンが行われる日でありまして、あらかじめ走行ルートがどこかを聞いておりました。湖畔の中州がスタート地点で、その後あの道此路、我が家の前は通過しないのであると・・・

家を出ようとしたそのとき、一人の総経理から電話、我が家の前は交通止めになっているのだと聞かされたのです。まさに目の前の沿道には応援する人たちが旗を用意しているではないですか。お巡りもでて、白バイが待機し、ではどうすればいいのか、総経理曰く、どこどこまで歩いてなんだらかんだら。仕方なく歩き始めます。

向こうからは先導車が、そして歓声が、先頭集団がやってきたのであります。見ると先頭集団、これみなアフリカ勢。しばーらくして黄色人種、なかには北朝鮮選手の姿も。そんな光景を横目で見ながら車の拾える道まで歩き続けます。ようやく交通規制のないところまでやってきたものの、タクシーというタクシーはみな客がついている。私はひたすら現場方向まで歩き続けます。今日はこの年一番の暑さ、二十八度です。汗がしたたり落ちます。ほぼ三十分、ようやく一台捕まえました。運ちゃんにやにやしておりました。

現場事務所に着くやいなやボスから電話です。案の定今日は出かけられない、明日にしようと。ボスの住まいは私のところと目と鼻の先、条件は同じであります。たまにはゴルフ以外で歩いてみるのもいいのではないかといいたいところです。まあボスですから、うるさいボスですから口には出しませんでした。

結局今週もぼーっとできそうにありません。ところでマラソンの結果はどうだったのか、いっこうに知りませんです。日本人も参加していると聞いていましたが・・・。

[ 写真: この写真は先頭集団から後れること二三分の二人。走る向こう側には可愛い鼓笛隊が応援、その後ろの広場はでかいホール、私の後ろは人民市政府の建物。PCで走る二人の姿を確認したところ、鍛錬している選手の前傾姿勢にいたく感動したのであります。 ]

Sunday, March 25, 2007

[廈門・289日] 濃霧

土曜日曜とボスから現場で打ち合わせをしたい、午前中に出てこい、といわれればでざるを得ない。この貴重な週末の休息が消えていった。それだけならまだしも、昨日は電話で誤魔化され、今日は昼まで寝ていたと、結局真っ白な時間を過ごしたに過ぎない。もったいなのである。会社としてもである。

このボス、しばしば「あたしは一年休み無し、365日働いているのだ」と話す。私は誇張して386日だーとうそぶく。意味のある働き方なら私だってどんどん協力したい。総じてだが、台湾人のボスは他人の都合はいっさい考えない。元ボスから一度呼び出されたとき、「エー出るのにあと何分で、つくのに何分」と答えたら、キツイ調子で「何時何分でに出てこい!」といわれた。オマエは私の配下にあるのだといわんばかりだ。

この配下という概念は、同時に配下から離れるということも意味しているので、ボスたちは注意が必要だ。どちらのボスが力があって、面倒見が良くて、厚遇してくれて、ポストをくれるか、などと考えている人間もいるからだ。元ボスは、絶対的な信頼を置いていた配下からこの仕打ちを受け、怒り心頭に来ている。一寸考えれば、いつでも起こりえることなのである。脇から見ていれば、そーらみろ、ということだ。

ここに来てからというもの、私は二人のボスから一寸距離を置き、曖昧な口の利き方を覚え、どちらにもつかないという小国の安全保障を学んでしまった。

[ 写真: 朝七時のマンションからの風景。今日は濃霧だ、と早速写真を撮る。これで今日のblogの話題は決まった、と思っていたところ、八時には全く先が見えなくなっていた。昨日振った中雨(と天気予報はいう)で地中に染みこんだ水気がでてきたらしい。 ]

Thursday, March 22, 2007

[廈門・286日] 蜃気楼のような

一昨日から太陽らしい姿が見られるようになった。うっとおしい春霞、海からやってくるやや強い風がモヤを運んでくるのだ。そんななかでも春分を待っていたかのように雲間から日が射してくれる。太陽は形が崩れ、蜃気楼の先にあるかのようだ。それでも日が射せば少し汗ばむ。廈門は暖かくなければならない。これでいいのだ。

写真を撮った場所は建物の外、回廊の一角に設えられた喫煙点と書かれた場所。ここは常連がやってくる場所である。みな顔なじみになり、挨拶を交わし、情報を交換する。さすがにこちらでは女性が喫煙する姿は一度と見たことがない。私が忘年会で「さくら」を歌ったこともあり、すでに私が日本人であることは知れ渡っている。なかには二十年以上前、開放政策が始まった頃に日本語を学んだという方もいる。たどたどしく話してくれるが、何度か私と話しているうちに、昔覚えた日本語が蘇ってくるという。

ある男は、私にもし三十以前だったら密航しても日本に行って金稼いだのに、という。そして福建省福州あたりの密航方式について話してくれた。蛇頭といっていなかったが、彼ら手配師たちは、前金を受け取ることはないという。金を積んだのを確認すると、それをお互いで保管する。無事仕事が終わると手渡すことになり、不調だとびた一文受け取らないそうだ。商売を継続するため、信用を大切にするらしい。

さすがに以前ほど密航者は多くないそうだが、それでも拝金主義は根強く、力強く、ふとしたところで、普通の人間からもそれが首を出してくる。狙われる日本人にはなかなか友人というものができない。寂しいものである。

[ 写真: 雲を通して揺れるように見える太陽。それでも暖かい。いやいささか暑いのだ。昼間は約二十五度前後になる。 ]

Monday, March 19, 2007

[廈門・286日] 都会の憂愁

日本の友人、口悪しき人妻は、私のヘルペスの原因をストレスだという。メールには「・・・ヘルペスは気をつけないと、また出ますよ!顔に出ると本当に痛いそうです。身体が弱っている時、弱みに付け込んでくるからご注意下さい。皇室の嫁たち(紀子以外)は皆やってる!・・・」という。私は答える。「・・・あー早く近郊の田園で週末を過ごしたい・・・」と。すると「私なんてネオンの無い田園、と聞いただけでヘルペスが出そう~!」と返事が来た。

我が部屋からは、全身をネオンで着飾った建物だらけが見える。夜中の十時半まで光の波がうごめいている。どうも私にはやりきれない。この単調な機械仕掛けにはうんざりなのだ。本当に田園に居を構えたい。真っ暗闇の、自分の目で暗闇の奥を探りたい。不思議なもので、暗闇を見つめていると、見えてくるから面白い。まさに無明の先が感じられるようだ。

この頃の天気、曇天と小雨で薄ら寒い。会社の庭先で散策もままならない。うっと惜しいヘルペスと天候を何とかしたい。で、食後の庭先散策を決行した。散策を楽しむ人間は結構いる。圧倒的に女性が多い。2人組だったり三人だったり、決して一人では歩いていない。会話を楽しんでいるのだ。男性はというと、一人歩きが多い。何かを考えているかのようだ。アリスの世界に迷い込まないにはどうしたらいいのか、なぞ思い詰めているやもしれない。

春先である。曇天小雨とはいえ、花々が咲き乱れている。小鳥は求愛を始めたらしい。遠いところ同士で鳴き叫んでいる。人の手が加えられた、人工の庭とはいえ、この光景とささやきには堪えられないものがある。

[ 写真: この庭の外はぶっとい道路を大型トレーラーが行き来し、反対側は企業集団の石化工場である。本社ビルからも庭先からも、この様子は見えない。周りを三十メートルにも達する樹木がびっしり植えられているからだ。 ]

Sunday, March 18, 2007

[廈門・285日] 不思議の国のアリス

昨晩、仲間たちとの会話は、会社の不思議。語られた内容は、訳のわからないところに迷い込んでしまった、ということ。脇で聞く私には半分ぐらいしか理解できなかったが、大筋はしっかり押さえられた。ひたすら平坦な口調で機関銃のように語る若造、しっかりと腰を据えてかみ砕いて語りかける人間、みな疲れ切っている。

土曜の夜、食事の準備でもしようかと腰を浮かせた瞬間、携帯が鳴った。「珈琲飲みましょうよ、若造は捕まるかなー」と腰を据えて語る人間。わたし、「OK、若造探して二人で行きますですよ」。毛唐の姿の多い、ゆったりとしたコーヒーショップ、ほぼ二時間、三人、明日はないぜと会社の不思議を語り続けた。我々愚痴でもこぼさないとやっていけない気分なのだ。あたしは刺激物を禁止されているので、旨くもないティーバックの紅茶を、ポッドに二杯飲むことになった。

今日、昼飯前、容易でもするかとパソコンから手を離した瞬間、携帯が鳴った。「あー○○です。ボスが現場に来てくれと・・・」。現場の所長からだ。はいですはいですとあり合わせのものを口に流し込み、タクシーで駆けつける。現場事務所には一人だけ、ボスも所長もいない。水気のものを口にして時間を潰していると、所長が戻ってきてこういった。「あー、どうしようもないなー。ボスはどこかに消えたよー」。気持ちを落ち着かせるため、椅子の深々と腰掛け、下腹部で深呼吸を続けた。久しくしていなかったトレーニングである。私も疲れるのだ。ついでに近くのショッピングセンターで、家の付近では探せないバターを購入して帰宅した。

[ 写真: アリスがウサギさんの消えたあたりを探していると小さな穴を見つけた。覗いてみると何かうごめいている。何だろうとなおも見つめると、その穴に吸い込まれて行くではないか・・・ ]

Saturday, March 17, 2007

[廈門・284日] 処方箋の薬

あー、今日も曇天。気分が落ち込む。それでなくても帯状発疹で腹のあたりがピリッと痛むからなおさらだ。病状は薬が効いてきたのか、発疹の腫れは徐々に引いてきている。しかしピッリだけはまだ残っている。これが気にくわない。会社の医者に聞かれ、腹が痛い痛いというと、いや腹ではなくて腹の周りの肉に入ったウィルスが悪さをしているのだという。どうであれ気にくわない。

昨年、元ボスが招聘した外国人四人、そのうち現在健康なのはただ一人、若造だけである。ボスの際限ないお叱りにもめげず、何とか体だけは平常だという。他の三人は、一人が高血圧、一人が胸、一人が発疹(かくいう私である)。元ボスは高血圧が悪化したようで、入院中である。何というざまだろう。廈門という魅力的で生活しやすい場にありながらこのざまだ。病はまさに気からである。何とか金を貯めて週末を田園で過ごすというプランを実行に移したい。

書類を整理していて目にとまったのが、先日病院で受け取った領収書。薬の種類を並べた欄がある。さすが中国、普通の病院で漢方を処方している。漢方と西洋薬をミックスした処方(中成薬)、漢方そのものの処方(中草薬)などが書かれていた。

私が発疹になったという話はすでに知れ渡っている。みなが心配そうに声をかけてくれるのだが、エー何でアンタ知ってるの?という具合で、ここ中国では口コミが早い。今では携帯を誰でも持っているからなおさらである。下手なことはできない。小心( xiao3 xin1 注意 )小心。

[ 写真: 日本でここ数十年、大病院で診察を受けたことがない。どのような手順を踏むのか知らない。ここ廈門では、診察を受ける順番がくると、電光板に名前と診察室の部屋番が表示され、かつマイクで呼ばれる。一寸不気味だった。 ]

Thursday, March 15, 2007

[廈門・282日] 見知らぬ料理人

私の家を毎日訪れ、女中がわりの仕事をし、せっせと小銭を稼いでいた中国語のセンセが去った今、食事は自炊、センセの料理を脇で見て覚えたのを復習している。なんと中国料理は簡単なものかと、自画自賛したりする。とはいえ、疲れてもどってきたときは、料理に手を出すのが面倒くさくなる。それでも路地裏の市場に足を運び、愛想のいい店の主人と雑談をするのは楽しい時間である。

今日、食材が足りなくなったので、帰りがけ、市場によってきた。一軒目で野菜を、二軒目で卵を、三軒目で豚肉を購入する。全部で十元足らず、日本円百五十円。さて何をつくろうかと考えながら家に戻ってみると、厨房には料理が並んでいた。炊飯器には里芋ご飯。おっとっと、見知らぬ料理人がやってきていたようだ。

いわずとしれた中国語のセンセである。昨日、私が現場に出ている間、若き人妻がセンセに電話で私の近況を報告したようだ。一人日本からやってきて病気になっているクソジジイを、身ごもっているあたしは面倒見れないのよ!何とかしなさいよ!とでも言ったのかもしれない。世話になりっぱなしだったお礼にとでも思ったのか、料理が並ぶことになった。

すでに冷えていたことから推測すると、昼休みを利用してやってきたのかもしれない。時間のないなかでつくったのだろう、残念なことに魚が生煮えだった。美味しそうな魚だった。もったいないことである。うれしいことに違いはないが、女中がわりに彼女を選んだのではない。いろいろ勉強してもらって、一通りの国際感覚を身につけ、中国人はマナーがなっていないと言われないようになってほしかったのだ。

[ 写真: センセの料理、今では塩味も薄くなり、油味も押さえられ、何とか人様に食べてもらえるようにまでなった。 ]

Wednesday, March 14, 2007

[廈門・281日] 昨日の続き

昼の役員食堂。医者の総経理に昨日皮膚科の医者が書き留めた「病歴記録メモ」を見せた。読めないですねーと。結局何を書き留めているのかは不明。しかし横文字の部分で、薬の成分を確認し、うなずいていた。

私の方は、朝、風呂上がりに軟膏を塗り、会社の便所で人知れず塗り、朝食・昼食の食後に錠剤を飲み、この忌まわしい腫れと腹部の痛みの消えることをひたすら待つも、いまだに回復への兆しはみてとれない。困ったものだ。これでは仕事にも集中できない・・・というものの、仕事は仕事、気にくわない仕事でも、どこかに面白い部分があるのではないか、ようやく探し出した。

中国の電脳ユーザーの99.9%はウィンドウズを使っているに違いない。CADもウィンドウズ専用のAutoCADである。味も素っ気もないソフトである。このデーターを受け取っても、見る気も、手を入れる気もしない。しかし仕事は仕事である。何とか面白い方法はないか、考えた末が、結局日本で愛用していたベクターワークスというCADにデーターを移し、ベクターワークス上であれこれいじくり回し、AutoCADに戻す、という訳のわからないことで楽しんでいる。

ベクターワークスは、スケッチができ、簡単な3Dもつくれる。シェーディングもできる。担当者と打ち合わせながら、ほれほれこうだろー、とスケッチがわりに見せたりすると、目を丸くする。そんな私を新任の総経理は「大師 da4 shi1 巨匠 」と皆の前で呼ぶ。喜んでいいのやら、おちょくられているのやら。困った人だ。

[ 写真: たぶん達筆なのだろうが、本当に訳がわからない。専門家はしばしば自分しか理解できない世界に入り込む。かくいう私もそうなのであります・・・ ]

Tuesday, March 13, 2007

[廈門・280日] 思い込み-II

現在、会社が所有するホテルの中に予防治療の高級医療施設を計画中だ。この総経理が内科の医者である。昼の食事時、彼に私の発疹について尋ねてみた。食事のあと、見せてくださいなというので、ガバッと背中をまくり上げた。彼曰く、ヘルペスだろう、私は専門外なので、早めに専門医に診せるのがいい、とのこと。

昼休みの間、インターネットを使ってヘルペスについて調べてみる。確かに該当する部分が多い。内科の医者は、早ければ早いほど完治も早い、すぐにでも病院に行くといい、という。午後は現場に出なければならない。早めに切り上げて行ってみることにした。若き人妻も心配そうに話を聞いている。彼女、会社の仕切屋に聞く。皮膚科はどの病院がいいのか。仕切屋、即座に答えてくれた。

現場に出てみれば、あれもこれもと聞いてくる。時間がドンドン過ぎていく。同行してくれる人間は、病院が閉まってしまうと心配しきり。適当に話を聞き、後日処理しようと切り上げて病院に向かった。ここでも病院は患者で溢れている。しかし皮膚科を訪れる人は少なめなのかもしれない。三十分ほどで診察室に入れた。あらかじめメモっておいた症状を見せる。医者、患部を見せてという。まさに会社の内科医のいうとおり、帯状発疹、ヘルペスだと診断した。医者は処方箋を書きながら、中国語が旨いネーなぞと気軽な話をしてくる。まあ、十二指腸潰瘍でなくて私も一安心、ホッとして薬を受け取りに下りた。二種類、軟膏とタブレット、一週間分、〆て68元98角。

先ほど、食事あとにタブレットを飲み込む。突然腹の痛みが消えたような錯覚になった。それにしても十二指腸潰瘍だなぞと勝手に思いこむ、医者に薬を見せれば、「没用 mei3 yong4 」、役に立たないと一蹴された。

[ 写真: 病院の入り口には「早く健康に戻られることを願っています」と記されていた。 ]

Monday, March 12, 2007

[廈門・279日] 初めての薬屋

体調不良の元だった激辛鍋、ひたすら休養をとったら治ったかと思ったのもつかの間、発疹がひどくなった。かゆいのだ。そういえば火鍋を食べた翌日、腕がむず痒かったのを思い出した。きっとジンマシンに違いない。それにしては右腰の前後ろだけにでている。触るとざらざらするので気味が悪い。薬を買うことにした。

もう一つは同時に起きた十二指腸のあたりの痛み。激辛鍋とは関係なく、きっといやいや仕事をしていたのでストレスがたまったに違いない。ストレスを避けるためにあれこれのんびり過ごしてきたのに、これではどうしようもない。重いバッグを肩に背負い歩いた疲れと気苦労とストレスと激辛鍋がみんなまとめて体をいじめたようだ。薬を買うことにした。

マンションの隣のビルに酒と煙草の店、ここはしばしば訪れる。その隣が薬屋。通りがてらに覗く程度だった。帰宅し、その足で店を訪れた。話が通じないと困るだろうと、あらかじめ中国語の辞書で"ジンマシン""十二指腸潰瘍"を調べ、ポストイットに書き込んでおいた。メモを差し出し、これにはどの薬がいいか聞いてみる。無愛想な若い男が、棚からさっささっさととってくる。

効能のほどは全くわからないから、言うがままで購入してきた。表書きには、生薬の成分と、その効能が書き記されている。薬は飲みたくなかった。外国の薬は総じて強そうだ。しかし今まで病気にならなかっただけに、この気分の悪さは許せない。早速飲んでみる。ジンマシンの薬は漢方の味がする。日本の何かの薬に似ている。あまり効きそうにない。

十二指腸潰瘍の薬は、服用の方法が読んでわからない。一日待つことにした。明日、会社で人に聞いてみよう。どっちにしても歳が歳だけに、日々注意を怠らないことだ。教訓である。

[ 写真: 漢方の生薬は雲南省でつくられたものだ。麗江を訪れたとき、帰りがけに役所の人間のくれたおみやげは、健康薬品だった。 ]

Sunday, March 11, 2007

[廈門・278日] 市場が移転

旧正月が過ぎ、春めいてくるのかと思いきや、思いっきり曇天続きだ。薄ら寒いし、気分は暗くなるわでいいことがない。体調もいまいち、若き人妻に「もう歳なんだから・・・注意しなきゃ!」と諭される。別にキツイことをしているわけではない。日本の口悪しき人妻は「ホームシックよ!」と片付ける。私は勝手にこの気候のせいにした。

今日だって朝からどんより。携帯に入ってくる気象予報では最高気温十七度、最低気温十二度。それにしては薄ら寒いのだ。部屋の中はなおさら寒い。出かけてみる。手持ちの金が底をついて、八十元しかない。日本円で千円一寸。銀行のATMへ。こちらでは大きめな店舗はみな日曜日でも開いている。千元引き出し、残高を調べる。会社では年末ボーナスが出なかったという話があったので確認してみる。入っていた。一安心である。急に気分は上向きに。現金なものだ。

マーケットで何か買い足すものがあるか立ち寄る。がらーんとしている。そうだ、改修中だった。仮店舗があるはずだ。裏道へと足を向ける。小さな本当に小さな生活便利店の並ぶ街路にあった。屋台だ。自由市場の雰囲気だ。ほんの少し前まで、ここ中国にはこんな感じの店が至る所に出現していたと聞く。自由経済が始まる前からだ。

ぶらぶらと店先を覗きながら歩いてみる。魚が並び、野菜が並び、豚だ鶏だ家鴨だと肉の塊が投げ捨てられるように積み上げられている。マーケットの良さは新鮮さと小分けになっていること。野菜は必要なだけ鷲づかみにして店の主人に渡せばいい。肉はどんな大きさにも切ってくれる。魚はまだ捌かない状態で並んでいる。購入すると、その場で鱗を剥ぎ、はらわたを取り除いてくれる。結構見ているだけでも楽しい。ここに来るときには小銭をたくさん用意しなければならない。何角(元の十分の一単位)という値が付くからだ。

結局何も買わずに戻った。髪の毛が伸びたので美容院を覗く。客はそれほど多くはなかった。私がいつも指名する31番に客がついていたので、今日は遠慮した。彼は人気美容師なのだ。

腹の調子はいまいち、腰上右の前後にブツブツがでていた。触ると痛がゆい。激辛がなかから吹き出したのだろうか。気持ち悪いものだ。こうして今日一日が過ぎようとしている。

[ 写真: この街路は私のお気に入りだ。靴の修理も、店先床屋も、五元のビールを落花生をつまみにして飲むのも、花屋も、一杯蕎麦もみな揃っている。高級住宅街の裏道である。 ]

Saturday, March 10, 2007

[廈門・277日] くだらない話

このところくだらないことばかりが続いた。話にもならない。ばかばかしい。しかし脇から眺めれば、結構おもしろがったりするかもしれない。私事、他人事、その他諸々・・・。

・運転手が首になった。理由ははっきりしないが、どうも車の修理費を誤魔化したらしい。本当なら馬鹿なことをしたものだ。この運転手、先日海鮮屋台でご馳走してくれた彼。今考えてみれば気前が良すぎた。

・若き人妻が身ごもった。もちろんれっきとしたご主人から授かったものだ。ある日、会社で彼女が傍らにやってきてつぶやく。「子供ができたみたい」。実にうれしそうである。昨年から、ご主人に今年は赤ん坊をつくろうと言われていた。二十九才、彼女悩んでいた。結局できたようだ。こちらは一人っ子政策、大事に育てていくことだろう。あー私の相手をしてくれる人間がまた一人いなくなった。

・先日のこと、激辛鍋を食べた若造は、翌日悶絶したようだ。腹がめちゃくちゃだったと。私は適度な量だったが、彼、残り物をみな平らげていた。そりゃそうだよ、と思っていたら、今度は私にもでてきた。十二指腸あたりがチクチク、腰の裏がビリビリ。最初は三十年前の十二指腸潰瘍が再発したのかと、大いに心配した。心配した日、帰宅するとすぐにドット疲れが出て眠りこけた。そのおかげか、翌朝起きてみると痛みが引いていた。激辛は危険なのだと知らされた。注意注意。

そこで油ものを避け、先ほど湯圓を口にした。重い料理はしばらく遠ざけなければ・・・。おっと、そういえば今日は下の愛娘の誕生日である。ということは、先立ったカミさんの誕生日である。ということは、消息不明のJunJunの誕生日でもある。

[ 写真: この湯圓、元宵節に元中国語のセンセが持ってきた。持ってきたけどさっさと追い返した。可哀相なことをしたものだと思うが、でなければいつまでもくっついてくる。これでいいのだ。 ]

Monday, March 5, 2007

[廈門・272日] ”検討”という仕事

さて、こちらに来て私がどんな仕事をしているのかと問われると、答えるのが難しい。強いていえば”検討”。上がってきた企画書や方案、それに現場で起きる問題を解決する。ときには方案の代案をつくるし、図面を書いたりもする。悪くいえば何でも屋である。上がった成果品をファイルに綴じ、上の人間に提出する。彼らが一言コメントを入れると、下に戻ってくる。これで承認されたことになる。

上が一人だったり二人だったり三人だったりする。仕事の内容や重要度により変わってくる。口うるさいボスは、私の提出書類に手を入れることはない。専門外だからかもしれない。私の説明書きが的を得ているからかもしれない。厄介なのは同じ飯を食っているボス。自分の得意としている箇所に手を加えてくる。特に室内設計のような場面では、私より優れていたりする。ときにスタンドプレーをして、人の気を引くようなまねもするのだが、おかげで現設計を台無しにしたりする。それでも答えなければならないときは悲しいものである。

ある時、ボスが私にランドスケープデザインは得意かと聞く。できますよと答えた。しばらくして、現場工事真っ盛りの集合住宅地の景観設計がどうもなっていないから検討しろときた。見てみると、とんでもない設計になっている。一度はボスが承認したゲートのデザインなぞ、さすがに気になっていたようで、元々の案がいいかもしれない、検討してみろという。すでに一部ができあがっていたり段取りの終えたものもある。すぐに変更設計を提出し、承認された。担当の人間はたまったものじゃないが、この決断は許される。

今は、敷地内の舗装用石板やタイルの材料、パターンに手をつけ始めたところだ。まずは考えを整理し、全体の構成を理解させ・・・、ガッコの先生だな、こりゃ。

[ 写真: 土曜日に呼び出され、現場事務所で担当者を脇に、ボールペン一本でコピー紙に書き込み・・・。そして今日一部を着彩したものだ。 ]

Sunday, March 4, 2007

[廈門・271日] 静かな部屋

昨日早朝、一人静かな部屋に。と、携帯が鳴った。ボスがお呼びだと。一時間はかかると伝え、歯を磨き、シャワーを浴び、タクシーに飛び乗り現場へと出かけた。ボスは我が儘である。一声に反応できないと、いつまでもいつまでも文句を浴びせかけるという悪癖を持っている。これに霹靂として会社を辞めたいと何人かが私に話していた。その一方で、繁くコンタクトをとって結論のお伺いを立てると機嫌がよかったりする。ボスというのはかくも我が儘なのであろうか。

日曜日、一人静かな部屋に。・・・春節前のこと。中国語の教師は、今まで授業の前に料理をつくってくれていた。ありがたいことである。それにもかかわらず、彼女の里帰りの際、今後料理作りはしなくていいよ、と告げた。一寸悲しそうな顔つきをした。何しろ彼女と一緒にいると気持ちの休まることがない。疲れるのだ。年の差四十才、違う世界の人間どうしが顔をつきあわせているようなものだ。それにこのところ仕事がやけに忙しい。授業に身が入らない。ひたすら安静がほしかった。

もとの一人の生活に戻って二週間、賑やかで派手な姿が脇にないのはさすがに寂しい。それでも何も考えずに時間を過ごす楽しみには代え難い。中国語の授業を終えたことを知った会社の若き人妻、「オー、独身になったんだ」とからかう。それを知ってか、先日は屋台へと誘ってくれた。男の気持ちをよくわきまえている。さすが既婚者である。

[ 写真: 代わり映えはしないが、簡素で清潔な部屋である。昨年、夫婦げんかの仲裁のさい購入したジャスミンは、枯れそうで枯れていない。聞くところによると、彼女、毎晩寝る前、朝起きたとき、亭主が横でくたばっていることを願って眠りにつくそうだ。さすが既婚者である。 ]

Saturday, March 3, 2007

[廈門・270日] 光の元宵節

昔、台湾、一ヶ月滞在しては戻り、また一ヶ月という生活をしていたときのこと。この帰国が面倒くさい、仕事疲れと飛行機疲れ。のんびり過ごすにはどうしたらいいか。旧正月を帰国せずに居残ることにした。台北の町から人影が消え、車が消え、実に安静な都会生活がおくれた。

ホテルの客もほとんどなし、私と従業員の居残り組と、ピアノの先生、夕方になると集まってきては、明かりを絞った地下のスナックで賭け事に熱中した。基本的にホテルの従業員は賭け事が禁止されている。ただいっとき、子供も従業員も賭け事が許された。それが過年から小正月、つまり元旦から元宵節までの十五日間。元宵節には灯籠を流し、灯明をともし、大小様々な形をした提灯をつるし、空にとばす。派手やかな一夜となる。私は実際に見たことがなかった。ただ写真で眺めるだけだった。

今でもこのホテルが正月期間に賭け事をさせているかは知らない。ただ、時代が移り、経営は息子が引き継ぎ、私を見守ってくれていたママも引退し、ピアノの先生は風邪薬を間違って投与され失明、その後しばらくして亡くなってしまった。古き良き時代は過ぎ去ってしまったかもしれない。

時代と場所が変わって中国廈門、昨夜、会社の連中と下町の屋台へでかけた。海鮮の美味しい店だった。ここではみな、店の連中も、会社の連中もミン南語、台湾語と同列の地方語を話している。まさに地元の店なのである。おごってくれたのは一人の運転手。無理をしていた。私とこの運転手、しこたまワインを飲み干し、いい気分で別れた。

タクシーで戻る途中、湖畔の中州が人混みで溢れかえっていた。暗闇の向こうは光り輝いている。車を止め、中州を歩いて帰ることにした。様々な工夫を凝らした照明のパレードである。酔って手元が定まらないままシャッターを切った。

[ 写真: ビルの照明、灯籠流し、湖畔の水面、元宵節のひとときの艶やかさ。 ]