Friday, May 27, 2011

[台北] 湿原と生きる - 記録映画 《帶水雲》


 ”百数十年前干潟と湿地の交錯していた寒村は干潟となり、土地は豊かな作物をもたらす良田へと変っていった。しかし二十数年前、良田は消えうせ再び湿原が現れた。天上の神がその地を取り戻すことにしたかのように。” ( 《帶水雲》 の紹介文から)

これは寓話ではない。先週公共電視台で放映された記録映画 《帶水雲》は、そんな土地を記録したものである。
[video: 記録映画 《帶水雲》 予告片]
南シナ海に面する台湾中南部の嘉義縣口湖鄉。一年の半分、かつての良田は冠水を繰り返す。毎年50~60メートルの土地を侵食しながら海水が入り込む。十年前、この地 を目にした映像作家・黃信堯は、道路わきに建設中の中学校が水浸しになっている光景を目にし、いったいこれでいつ授業ができるのだろうかと思ったといってい る。
このフィルムを見ていてふと思い出したのが昔見た台湾映画”熱帯魚”。映画の内容は日本語版Googleをググっていただくとして、簡単に紹介すると、ドジな誘拐犯が受験戦争真っ只中の台北の少年二人を誘拐したはいいが、相棒がひょんなことで交通事故死してしまう。少年二人の扱いに困り、田舎のオバチャンちまでひっぱっていく...。オバチャンの住む三合院づくりの民家はなぜか突然に冠水する。かれらは冠水しても当然のことのように日常生活をおくっている。始めてこの映画を見たときにはストーリーよりもそんな環境にある場所に惹かれた。

映画のロケ地は《帶水雲》の舞台となった嘉義縣口湖鄉のすぐ隣、東石鄉。
先日ご紹介した「“退潮” - 沈黙の反石化開発記録映画 」の干潟が彰化縣芳苑鄉。台湾中部西海岸は干潟と湿地帯。
[photo: 映像地図 ]
三本のフィルムに登場する人たちからは、そんな環境を恨んだり悲しんだりしていないように見て取れる。百年前に授かった恵みに感謝し、二十年前に失った土地は天上にもどしたんだということなのだろう。私はそう理解することにした。

Monday, May 23, 2011

[台北] 雑記 - 馬志翔演出の"飄搖的竹林"のことなど

[photo: ロケ地の馬志翔]

・馬志翔演出の"飄搖的竹林"(揺れ動く竹林)
久しぶりに興味をひく映画の予告片がTVに流されている。独立系の One Production 製作 ”飄搖的竹林” がそれ。注目したのは、まず演出が馬志翔だということ。霧社事件を描いた”風中緋櫻”で蕃人でありながら日本人以上に日本人らしさを醸し出していた俳優が演出するという。もう一つは台湾原住民族のアイデンティティーと土地は誰のもの?を問いかけているらしいから。

話の筋はわからないが、予告片から察するとこういうことらしい。
タイヤル族の老人、猟人、彼がある日山奥の竹林で竹の子を採取する。採取したことで警察に保護される。その土地は国家公園内の国有地。たとえ少量であろうと勝手に採取することはできない。

タイヤル族の老人はなぜ竹林に向かったのか。この竹林はかつて老人の父親が植えつけた林だ。今では手入をすることも許されない竹林。老人は言う、竹林が揺れ動いている、身震いしている、泣いている、呼んでいる、出かけるぞ、いいか・・・

映像には幻想的な竹林、竹林で出会う民族衣装をまとい猟銃を持ったかつての自分か父親の姿が。

[放映: 5月29日(日)夜9:30 原住民族電視台16ch] F1モナコとガチンコ。しかしこのフィルムは見逃せないな・・・

 ・土地は誰のもの
土地は誰のもの。誰のものでもない、我々は地球から借り受けているだけなのだから。原住民族の考え方も同様だった。多くを望まなかった。かれらは遷村を繰り返すが借り物の土地をいじめることはなかった。ちゃんと元通りにして返していた。

それが管理されるようになると違ってくる。台湾原住民族が今直面している大問題は彼らの自冶権。昔と違い、土地の所有権がなければ自立も自冶もできない制度になっている。彼らはこの獲得に向かって走り出している。

原住民族自冶法の草案が大詰めを迎えている。三月放映された討論番組「原地發聲」で、立法院版と行政院版自冶法の違いが併記されていた。行政院版では上位に国家の法律がありますよという案。立法院版は自冶法は特別法であり、それ以外の法律、野生動物保育、森林法、国家公園法、温泉法、鉱業法、土石採集法、水利法などは除外、つまり漢人がやってくる前から私たち原住民族の行使してきた行為は当然の権利だというもの。
"飄搖的竹林"は恐らくこの問題が下敷きになっているような気がする。

[注:審議が進んで内容は異なっているやも知れない]

 ・英文字幕付「不能遺忘的歌 - 聚集布農・祈禱之歌」
以前簡単に紹介した「不能遺忘的歌 - 聚集布農・祈禱之歌」が中文と英文の字幕つきで見れるサイトがあった。
1930年、日本占領時代の布農族部落で発生したマラリアに取り組む日本人医師と布農族看護婦との出会いと別れ。朗蔚作詞作曲の独特のもの悲しい曲が聴ける。
劇中では日本語、中国語、そして族語のミックス。出だしの一分、カラーチャートが映し出され、高周波の音が流れるのでその間ミュートしたほうがいい。
[Youtubeにも揚っていました。こちら]

Tuesday, May 10, 2011

[台北] "Bye-Bye莫拉克" - 八八風害後の子供たちの記録

[photo: 裏山から消滅した村の跡地を見つめる 渓流の手前灰色の部分がそれ]
昨日の共同通信の「東京の教員が被災地支援 宮城で心のケアや授業」という記事が目に付きました。子供たちは大人以上に多感で感受性が強いはずです。被災地の子供たちが今どう過ごしているのか、どのような心の痛手を受けているのか、現状を知るよしもない私ですが、もしそうでしたら早く立ち直る手立てに取り組んでほしいと願っています。

二年前の八月八日に台湾中南部で起きた水害・八八風災の規模は東日本大震災と比べようもなく小さいものでした。しかし僅か三日間で2メートル50センチもの降雨量は年間のそれを超えるものでした。その少し前台湾にやってきた私は、南部で起きていた災害を新聞などで知ったものの、山間部の一つの村が濁流と土石流で消滅した際の政府の対応の遅れに関心が移ってしまい、実態を知ることなく日を過ごしてきました。この災害が半世紀に一度という記録的な被害をもたらしたことを知ったのはつい最近です。

昨年秋のこと、偶然見たテレビ連続ドラマ「風中緋櫻」がきっかけでスポーツ番組以外のテレビを見始めます。以来時間が許す限りいろいろなチャンネルに目をやるようになりました。そうしたところ八八風災に関連した番組の多いことに気がつきました。山間部の多くの部落が、山崩れや土石流によって道路を寸断され、交通・水道水・電気などのライフラインを失しない、多くの人が亡くなりました。被害を受けた人たちは山を降り、避難先での生活を余儀なくされています。テレビ番組では、被災後の生活やこれからどこに住めばいいのか、祖先から受け継いだ土地に戻りたい、に始まり土地は誰のもの?にまで話題は及んでいます。

そんななか、番組表に変わったタイトルがありました。”Bye-Bye莫拉克”。莫拉克は八八水災の元凶、Morakot台風の名称、確か日本では2009年台風8号と命名されたとおもいます。”Bye-Bye莫拉克”に登場するのは子供たち。被災した彼らの生活と心の中を描きだそうとした意欲的な記録映画でした。四部構成で、五人の若い映像作家が取り組んでいます。子供たちはこの災害をどう感じ、どう受け止めたのか、一見すると朗らかで何もなかったかのような彼らの日常風景。あの悲劇に”サヨナラ”ができたのでしょうか。今までになかった視点でした。

Bye Bye莫拉克」は
・「想念的方式」
・「一條流到我家的河」
・「大雨過後的美勞課」
・「流浪小森林」
の四部作。昨年の四月に放映されたと思います。ただし私は「流浪小森林」は見ていません。一本だけ紹介すると・・・

・「想念的方式 The Way I Miss You」(私の思い出の方式)
は濁流と裏山の土石流で全村172戸のうち167戸を失った小林村から。この監督の黃嘉駿は、この村の一人の少女が毎日、失った親友・”蚊子”宛に手紙を書き続けていることを知ってその日常を記録していきます。

彼女は蚊子宛に手紙を書いては校庭の裏庭で燃やします。ちょうど台湾の慣わし、無くなった人を弔い、道中困らないようにとお札に見立てた「金紙」を燃やして送り届ける風習のように。映像には燃え尽きようとする間際、白い線描の蚊子が登場、手紙を手にして消えていく。裏山に登り、村の跡地を眺めながら蚊子に近況を報告する。蚊子が彼女の脇でそれを聞いている。渓流脇の、今では石ころだらけのさら地を、もとあった村の道沿いに歩く後姿に消え去った村の姿を書き加えながら終わります。

災害を受けた子供たちの心のケア、どの作品もケアに対処する方法は違っていました。涙はありません。ただ一度、撮影の最中、インタビューで一人の少女が「(被災地での共同生活の中)・・・泣きたくったって泣く時間なんか無い・・・」といって泣き出しました。画面は友人に寄り添われて校庭の端へ歩いていく姿をずっと映しだていました。

Thursday, May 5, 2011

[台北] “退潮” - 沈黙の反石化開発記録映画


先日こちらの公共放送・公共電視台で一本の記録映画が放映されました。タイトルは「退潮」(引潮)。もともと記録映画が好きでしたので、TV番組表からそれらしいものを探し出しては見るようにしていました。目にしたのは「紀錄觀點」という記録映画番組。「退潮」という”らしくない”題名に引かれました。見るまではどういう主題を扱っているのかもわかりませんでした。出だしはどういうことのない台湾の寂れた小さな町筋に立つ教会をクレーンを使って撮ったシーンです。オバサンが教会の歴史、つまりその街の歴史を語るところからはじまります。

 未明、出支度をするオバサン。荷台を牛に引かせて出かけます。カメラはその荷台から目を横にそらすことなく、前を向いたままです。町を外れ、畑を横切り、堤防を越えて海に向かって移動します。どこまでも遠浅な海を沖へ沖へと向かいます。そこは牡蠣を養殖している蠣田、と呼ぶんでしょうか、こちらのスーパーに出ていました、引き潮のときだけ作業のできる干潟の蠣田・・・。この町は昔から干潟で生計を立てていた漁村です。
画面はその干潟の風景、汐の満ち引き、引潮のときだけやってきては泥の中の餌をついばむ水鳥たち、顔を出す無数の蟹の姿、そして干潟で働く漁民一人ひとり を丁寧に追っていきます。移動手段に使われる牛が乾いた場所を探して横になります。犬たちは主人の傍らについてまるで手助けをしているように見えます。静 寂な映像、ただただ強い海風が風防をつけたマイクも突き抜けて収められています。オジサンは斜めになりながら前に進みます。これらの映像は秀逸です。まる で環境映画のようですが、ここでは人と干潟の係わりが主役、それがこの映像の狙いでしょう。

番組の後半を過ぎたところで町に建てられている豪華な廟の場面になります。住民投票の風景です。私はここで始めてこの干潟が石油コンビナート建設用地だということに気がつきました。ニュースで國光石化計画建設反対の抗議集会やデモの報道があったのは知っていましたが、この地だとは建設の是非を問う住民投票の映像が出てくるまで分かりませんでした。
[訂正]  この地・芳苑鄉の干潟は國光石化計画建設用地に隣接する場所でした。もし開発されると、北に六軽石油コンビナート(建設済み)南に國光、一年を通して干潟が空気が汚染され続けることになってしまいます。

「退潮」は公共電視台自らの企画でつくられました。監督は台湾の自然環境を撮り続けている柯金源。国の石油化学コンビナート計画が自分の生まれ故郷に近い彰化県芳苑鄉の干潟に建設が決まったときから撮影を始めます。三年間にわたり、フィルムは300時間に及んだといいます。コンビナート建設は、当初から台湾の多くの人たちの反対を受け、敷地は二転三転、太平洋岸の宜蘭にはじまり、桃園、雲林を経て彰化県政府の強い誘致でこの地に決まった経緯があります。

当初から映像作家の柯金源がこの問題を撮り続けていることは知られていたそうで、その内容に期待する人も多かったようです。しかし放映された番組には反対運動の場面はありません。ただただ干潟の美しい姿と漁民たちの黙々と働く光景だけでした。監督の狙いは見事に成功します。反対運動を語らずに説得されてしまう。騒がしく、饒舌にならず環境問題への回答を表現したのですから。

先月22日、馬英九総統はこの地での開発計画を放棄した旨の声明をだしました。来年の総統選を見据えてのことという人もいます。次の移転先は大陸だとも言われています。誘致を強引に進めてきた彰化県政府は、この地を観光開発の拠点にしようとの計画案を練り始めたともいわれています。