Thursday, May 31, 2007

[廈門・359日] がらがらぽん

この二日間、二人の幹部と会食をした。台湾人である。一人は会社を離れたいと聞いたから。もう一人は転居を考えているわたしのため、部屋を見せてくれるという。一人は高級日本料理店に案内してくれた。もう一人とは湖南料理を口にした。日本料理店は廈門で名の通った店らしい。台湾人が開いたとのこと。しかし味付けにマヨネーズを多用しているのには閉口した。それに店の従業員が口にする日本語の聞き取りにくいこと。「じらしゃいまぜ」(いらっしゃいませ)、「おねぎゃいじまーず」(おねがいしまーす)。

食事を終え、彼の家に案内された。駅に近い、中庭が広く落ち着いた小区(いわゆる団地)、綺麗な奥さんとかわいらしいお嬢さん二人、奥さんは大の日本びいきらしく、さかんに日本のいいところの話をしてくれる。日本はとても清潔だと、廈門は中国で一番清潔だが、それでも・・・という。うれしいかぎりだ。お嬢さんが通う幼稚園には、日本人が一人、おかげで片言の日本語を話すことができる。小さなマンションに家族四人、ささやかでなぜか落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

結局、彼は会社を離れることはないと語った。多くの、官職にある台湾人がみな口をそろえて会社の混乱した運営を指摘する。それほど問題の多い会社なのだ。

湖南料理を食したもう一人、彼はこの会社の混乱した状態を正すため、昨年秋、やってきた。影のボスが直々に仕切っている部門の長だ。企業集団の役員一人一人とインタビューをし、あらかじめ分析したデーターを元に、疑問を投げつけているという。私の属する部門とは、あさって話を聞くことにしているらしい。さてどんな答えを引き出してくるのか、密かに聞くことにしている。場合によっては、会社内部ががらがらぽんされるかもしれない。

当初の目的、部屋の見学。部屋の幅と高さ一杯の開口、内海が眺められる。広く整形な居間。大通りの四つ角という敷地の一角。付近には高級スーパーも、デパートも、いろいろな料理屋も揃っている。町を歩く人間のすがた形も悪くない。早速仲介のオネーさんに電話を入れてもらった。

[ 写真: 部屋に戻り、バルコニーから外を眺めてみる。やはりここは落ち着く。豊富な緑、水べり、適当な車の量、瀟洒な店、上質なお嬢さんたち、集中している銀行・・・。環境を買うのは高くつくものだ。 ]

Tuesday, May 29, 2007

[廈門・357日] 危険な小姑娘

おいおい読唇術をつかえというのか・・・。

昼休みが終わる寸前、会社の庭先の散歩から戻ってエントランスを入る。脇のラウンジに顔見知りの小姑娘が仲間と雑談をしていた。軽く挨拶をすると、声を出さずにゆっくり何か一言口にした。し終えるとにこっと笑いかけてきた。実にかわいらしい。若い頃の台湾人タレント・ビビアン(徐若瑄)に似ている。私も思わずにこっと微笑み返しである。彼女も彼女だが、私も私である。幹部の人間がこんなに軽くていいのか、新入りの小娘は幹部にこんなに親しげにしていいのか・・・。

席に戻って一寸気になった。彼女の、口に出さずに語りかけた口元が、もちろん私は読唇術なぞできはしない、それでも何となく理解できそうな感じになった。彼女は三回口を動かした。三つの漢字、簡単ではっきりと意図した言葉、想像しただけで身震いしてしまう。まるで映画のなかにいるようだ。かくも各様にこちらの女性は自分の意志をはっきり主張する。真意なのかおちょくっているのかはどちらでもいい。実に楽しい。

半年前、癌でご主人に先立たれた若き未亡人、彼女は私の耳元でささやく。「ミン南語(福建省系地方語)教えましょうか?」。ミン南語に教科書はない。口から口、マンツーマンでないと学べない。しかし彼女は危険だ。あの豊満な肉体には打ち勝てそうにない。一人廈門にやってきて金を稼いでいる若き元看護婦、私の健康管理についてインタビューしたあと、五月に国に帰ったら、名産品さし上げますと語り、結局帰らなかったのでごめんなさい、私の携帯これこれです、電話くださいと。何が目的なのか、私には理解しがたいが、実に楽しい。

会社の女性たち、台湾人幹部にそんな振る舞いは見せていない。どうも私だけのようだ。私が日本人だからなのか、取っつきやすいのか。そんなこんなを見かねてか、課長はしきりに「会社の女性にだけは手を出さないでくれ」と懇願する。なら女友達を紹介してくれと切り返している。

[ 写真: 言葉を口に出さず語りかけたビビアン(徐若瑄)似の小姑娘、インターネットでビビアンの写真を探してみた。確かに似ている。大きな二重にたれ目がちなところ、一寸突き出した口元が実に似ている。 ]

Monday, May 28, 2007

[廈門・356日] 危険なご婦人

もう一人の老頭子、奥さんが子供の元、カナダへと去って久しい。家に戻っても、ガランとした部屋に一人、退屈になるのだろう、私をしばしば引っ張り出す。昨日曜日早朝、携帯が鳴り、山登りしてきたところだ、コーヒーショップに出てこいという。朝早くからなんと言うことだ、店の若い子と雑談でもしたいのか、まあいいか、と出かけた。

店では老頭子がご婦人とサンドイッチを口にしている。見るとホテルのボスの秘書である。ひと月ほど前台湾から新任したばかり、単身赴任の年の頃五十代半ばというところ。仕事場での彼女、声に艶があり、顔立ちもなかなか色っぽい。どうも二人で私のマンションの裏山から下りてきたあとらしい。おっとあたしは遠慮しまっせといったものの、結局珈琲を口にした。

店から出て、あたしのマンションの隣、高級ホテル内部を見学したいと秘書嬢、健身中心であれこれ話を聞き出していた。一通り見学を終え、外に出ると空模様が怪しい。稲光と雨粒だ。二人と別れ、足早に家に戻った。

しばらくして、そう、小一時間ぐらいか、携帯が鳴った。老頭子からだ。緊迫した声をしている。矢継ぎ早に質問を浴びせかける。さっきのご婦人に興味があるか、悪くないだろう、紹介するぞ、小姑娘でないと駄目か、なぞ意味不明なことを問いつめてくる。何をあわてふためいているのか、要領を得ないまま返事をしていると、我が友人はこういうとき即決してご婦人のお相手をするぞ、と男気を試しにかける・・・。

ここからは推測の話である、誤解の無いように。後日事実を確認するとして、まあこういうことだったのではないか、と。私と別れたお二人、タクシーをその場で拾わなかったとすると、雨にたたられたことになっているはずだ。ひとのいい老頭子は、家で休んでいけとか、傘を貸しますとか、場合によってはシャワーを使わせることもあり得る。私と別れて一時間、この一時間は危険な時間だったらしい。

廈門は雨期に入り、しばしば突然のスコールに遭遇する。そのスコールがうんだ小さなお話。

[ 写真: 本社ビルの回廊で見つけた竹箒。庭師が手作りしたものらしい。懐かしい。勝間を思い出す。雑木林の笹藪から、手頃な長さに切り取り、針金で束ねで竹に縛り付けてつくったものだ。今は昔である。 ]

Sunday, May 27, 2007

[廈門・355日] バースデーケーキ

もう一人の老頭子、奥さんが子供の元、カナダへと去って久しい。家に戻っても、ガランとした部屋に一人、退屈になるのだろう、私をしばしば引っ張り出す。近くのコーヒーショップで雑談、二時間、のんびりと過ごすのがこのところ多い。麗江の若造がやってきては、また三人で会社内部の話し、仕事のやりくり、恨み辛みを語り続ける。

店の女の子から、しばしば訪れるならば、VIPカードを購入したらいかがですか、と提案された。300元、はじめは断っていたものの、話を聞いてみると悪い話ではない。一回、一杯の珈琲を注文すると、もう一杯が無料になる。二人ならば一人分タダ。なおかつ一年間有効と来ている。一杯25元から30元、十回一寸で元が取れる。珈琲はこちらでは高価だ。そんなこんなで普通に考えればかなり得。店は珈琲をいかに安く仕入れてくるか、仕掛けはそのへんにありそうだ。

もう一つの優待条件が、誕生日に10インチのケーキをサービスしてくれるという。VIPカード購入時に住所や携帯や誕生日を記入するのだが、私は素直に半年後の日付を記入しかけた。脇で老頭子、「このアホー、次回の董事会のあとにすればみな集まって食えるではないか!半年後、俺たちここにいるかも分からんのだ!」。さすが老頭子、董事会のあとなら麗江の若造も廈門にやってきている。

そのバースデーケーキが先週日曜日に手に入った。あらかじめケーキの種別と店にやってくる時間を知らせておいた。見事なチーズケーキを男三人口にした。悪くない手作りケーキだ。十分チーズが濃厚であった。ばかでかいので持ち帰ることにし、翌日会社でみなに配ることにした。

残った八人分のケーキ、ボスの秘書に頼んで分配してもらう。周りの女性が口にし、それでもまだ残る。ボスの秘書、「ボスにあげて来マース」・・・。その後、ボスが周りの人間に話をして回ったらしい。これで私の誕生日は五月に決まってしまった。六月はもう一人の老頭子が誕生日を迎えることにしている。また旨いケーキが食えそうだ。

[ 写真: 池の鯉の続き。鯉がどこに運ばれたかは知らない。彼らが去った後の池はいま、浄化装置の設置工事を行っている。なにしろ夏場を向かえ、池一面に大量の藻が発生、水がどろんとしてしまったのだ。 ]

Wednesday, May 23, 2007

[廈門・351日] 池の鯉

池の鯉、池から出られない鯉、とらわれの身、逃げ場のない鯉、これは比喩で語っているのではなく、池の鯉は池から出られない。本当の話・・・。

会社の庭の池、夏場を向かえ、今日、池さらいが行われた。ポンプを使い、水を半ばまで抜き、逃げ場を失った鯉を何人かが網ですくう。すくわれた鯉は白いポリバケツに投げ込まれる。一通りすくい終わると、小型トラックの荷台に移され、どこかに運ばれていった。その数おおよそ百匹はくだらない。赤、白、黒、まだら、元気のいい鯉たちがポリバケツのなかではね回っていた。壮観である。

なかには最後まで逃げ回り、捕らえようと網を打つものの、その間を巧みに抜け出していた鯉も数匹。鯉は池から出られないのでありました。鯉が去って、水が抜かれ、溜まった泥をデッキブラシで洗い流している。手間暇のかかるものだ。一日仕事で終わるのだろうか。

まあよくそんな光景を眺める暇があったものだとお思いの方、暇があったのです。今日は麗江の案件、影のボスからご意見と承認をいただく予定でありました。このボスが上から下りてくるのを待つ間、元ボスの部屋から鯉の行く末を眺めていたことになったのです。おくれてとった昼食のあと、池の畔で鯉の行く末を眺め、写真を撮り、また部屋に戻り、また眺め、でこの一末を観察しておりました。

しかし昔の人はよい例えを考えついたもので、池の鯉とはよく言ったものだ。一寸周りを見回しても、誰それの出来事を充ててみても、自分に置き換えてみても、池の鯉とはよく言ったものだ。しかし、鯉はそれなりに幸せそうに過ごしてきたのだから、池のなかで死に絶えても鯉は文句は言うまい。

[ 写真: 人件費の安いここ中国だからできる、人海戦術での池さらい、影のボスはホテルのプログラムについて、近い将来、人件費の高騰を語り、幹部の給与で、300人のスタッフを養える、余計な幹部を配置しないよう語った。 ]

Tuesday, May 22, 2007

[廈門・350日] 365天

ボスの口癖、「私は365日(中文で365天という)働いておる。君たちも私同様働くのだ。それだけの金額を払っておるのだぞ」。私は密かに口ごもって答える。「私は385天です」。食事中でも、便所のなかでも、厨房に立っていても、夢のなかでもアイデアを練っているのだ。ボスよりは時間を有効に使っているのだ、と小さくささやく。

会社の人間との挨拶は、「いま何が忙しいですか?」。意味はなんの仕事をしていますか。この答えは極端である。上の人間はやたら忙しい、下の人間はやたら暇なのである。暇な人間に役割を振れば良さそうなものだが、そうしないところが中国社会だろうか。自分の領分は人に渡さない、機会を得ればそれを自分だけのものにする。かなり厳しい社会らしい。

幸か不幸か下に人間のついていない私は、自分の思うとおりに仕事をこなすことができる。幸せなのである。私の仕事を横取りしようと考える人間もいない。代われる人間がいない。これも幸せの一つである。

辣腕総経理が君臨していたいっとき、彼に気に入られた若き人妻、朝から晩まで忙しそうに動き回っては、男相手に大声を張り上げていた。時に疲れると口にするものの、顔つきは満足げだった。その辣腕総経理が去った後の彼女、始終イライラしている。「退屈だー退屈だー」といっては私を煙草を吸いに引き出す。別に何を語るわけでもなんでもないのだが、何もすることなくデスクにへばりついているのが苦痛なのだ。彼女にとって、仕事あっての仕事場である。私の元秘書は始終ノンベンダらりんとしていたから、仕事場が変わって、残業だ、週末出勤だと言われて音を上げて元の鞘に戻ってきた。人いろいろである。

[ 写真: 本社ビルの回廊部分に設えられた喫煙コーナーで頭をかきむしる若き人妻。一寸画になっていたのでシャッターを切った。その画をのぞき込んだものの、何も言わずにまた頭をかきむしっていた。退屈なことがよほど苦痛なのだろう。 ]

Sunday, May 20, 2007

[廈門・348日] 部屋探し

ここ二週間、週末は部屋探しだ。一年目の更新を前に、さてどうするか、簡素で上質な部屋を棄て、ごく普通で安い部屋に移るか、思案投げ首である。家賃を知る人の多くは、一応に「高すぎる!」という。はたしてそうなのだろうか・・・。

こちらに来てすぐ、いくつか部屋を見て回った。元ボスは100m2、月3200元、内海と大橋の眺められるのを自慢していた。このマンションに隣接する一棟には、月3400元前後の物件が二つ、バルコニーからの眺めも申し分なかった。どれも満足いかなかったのは、海岸線と幹線道路に挟まれ、孤立した立地だったこと。買い物に出かけるにも、この幹線道路を越さなければならない。それに足回り、周りの環境が雑然としていたこと。国際フェリーの建設、それを目当ての大規模開発が進んでいて、建設労働者たちが四六時中マンションの周りをだらだらと歩き回っていたりしていたこと。

いま住むマンション周辺は、高級住居と店舗、整備された街路樹、広い歩道、銀行に大小様々な飲食店、一歩裏に入れば、自由市場に露店店舗と変化に富んでいる。そして明るく小綺麗な家具、合理的な間取り、整った設備。足下は車の入れない、夕方に子供たちが遊び回っている広場、カードを持たないと出入りできない敷地、などなど安全性も高い。タクシーに乗って、マンションの名前を告げればそのまま連れてってくれる、名の知れた建物だ。

その分部屋代も月4000元と、私には一寸贅沢である。幾ら日本円で六万円程度とはいえ、他の方々と比して分相応かどうか。ただ、一つ言えることは、私は建築のデザインという仕事を生業としており、環境や雰囲気に目を配っている。貧相な風景のなかからは、なかなかいいものをつくれないと考えている。

この二週間、見て回った部屋はどれも2500元前後。みな雑然とした間取りと、安っぽい家具に囲まれていた。手助けしてくれている若き人妻は、二年住めば差額で車が買えるではないかという。この差額は、こちらの大学卒の初任給に匹敵する。贅沢は敵か。いまのマンションに居続けることを推奨したのはただ一人、元ボスの運転手、かつての仲間、一人孤独に生活する外国人にとって、決して高価格とは言い難いといった。

[ 写真: マンションを下見したあと、我が家の下の高級ブティック。夏場に着る妊婦服を下見する若き人妻に同行したさい撮影。 ]

Saturday, May 19, 2007

[廈門・347日] えー辞令?

昨日、二人の方から電話をいただいた。「恭喜恭喜!」(おめでとうございます!)と。なんのことやらと思いきや、食いっぱぐれがなくなったですね、ということらしい。この会社での仕事をあと一年延長しますか?の書類にサインしたことで、董事会の議題の一つ、人事の案件に上がっているという。私にはおめでたいことなのかどうか判断に苦しむ。

そもそも大会社で働いたことのない私、事情に疎い。あれやこれや細かいことまで管理しているらしい。それを仕事としている部門があるのだから致し方ない。「恭喜恭喜!」といわれても、うれしくもない。むしろ、魅力的な仕事をこなしたいと思うかぎりである。それがなかなかできないのが大会社ということなのだろう。

これから医療を商売にしてみるかと始めた役員室、麗江のホテル内に高級医療施設を併設するという打ち合わせはそこそこに、珈琲とピーナツをテーブルに、「恭喜恭喜!」で話題が盛り上がった。そもそも私は役職とかを求めたわけでなく、私はおもしろい仕事をこなしたいのだが、あれをやりたい、これをやりたいと好き勝手ができないのが大会社の仕組みか・・・。

二階の役員室から下の仕事場に戻っては、懐妊中の人妻、設計院といういわゆる設計事務所で働いている亭主持ちの口うるさき人妻、看護婦の仕事が辛いといって医療部門で働いているくりくりお目々の人妻、麗江の若造、今日で別の開発会社に転職する若きエンジニア、警察学校を出てなぜかこの会社に就職し、PCのモニターに5口径(!)のオートマチック拳銃の写真をウォールペーパーにしている柔道空手なんでもOKという気のよさそうな男、ハリー・ポッター似のひょろひょろお嬢さん、一目で顔面整形したに違いないと分かる派手派手娘に取り囲まれ、「恭喜恭喜!」とは無縁だが、個性的な面々と一緒して働いている。この場所が一番落ち着くか・・・。

[ 写真: もう一つの落ち着く場所、本社ビルの庭園、池の畔、「太陽がでかい(暑い)」この頃、昼食後に散歩する姿がなくなった。私は木陰の芝生でごろっとしている今日この頃である。 ]

Wednesday, May 16, 2007

[廈門・344日] 廈門梅雨入りか・・・

この会社に来てからあとひとつきで一年をむかえる。早かったような長かったような。なにしろいろいろなことを体験した一年である。昼前、管理部の人間が、契約の更新をするかどうか、更新手続き用紙を持ってきた。以前はそんな手続きなぞしなかったぞ、と思うもどうも解せない。今更なんなのだ。まあいいか、あと一年東アジアの旅を楽しんでみよう。その先のことはまた一年先に考えることにすればいいさ・・・。

夕刻が近づくにつれ、窓の外が時間を追って暗くなってきた。雨が降るに違いない。予備に置いておいた傘を持ち帰ることにした。

会社のバスが降車場所にもう一歩というところでフロントガラスに水滴。傘を開く用意をして下りる。一緒に降り立った近くに住むおネーさんに、傘を貸しましょうかと声をかける。一寸早足で歩けばなんとか間に合うでしょう、という脇から雨脚は徐々に強まってきた。

信号で別れ、雨を楽しみながら歩いていると、稲光である。あっという間に大粒の雨。マンションにたどり着いたときには、下半身はびしょぬれになっていた。廈門の夏の風景が始まったのだ。

インターネットで日本のニュースを見ていると、「沖縄が梅雨入り」。沖縄が梅雨入りということは、前線は廈門にまで延びているはずだ。天気図を見てみる。ずばり、廈門も梅雨に入ったことを知ることになった。

こちらの雨期はどさっと雨を降らす。賢い人たちは焦らず店先で時間を稼ぐ。今日もお茶屋さんの店先は、通勤帰りに雨に当たられた人で一杯になっていた。

[ 写真: 雨の路上、片手に紙袋、片手に雨傘、両手をふさがれた状態で歩いていると、一人の若者がちかずいてきてピンクチラシを差し出した。無視して歩いていると、ジャケットのポケットに無理矢理差し込んできた。 ]

Thursday, May 10, 2007

[廈門・338日] "老頭子"の友ー元秘書

こちらに来た当初、私に秘書がついた。一見して田舎出の女の子という印象だった。秘書とは名ばかりで、業務日誌すらつくれない。雑用係といってよかった。ある時、何かの拍子に彼女の対応に強く心を打たれた。部屋に通し、将来何をしていきたいのか聞いてみた。返事は当たり障りのない、要領を得ないものだった。それでも何か支援してあげようではないかと考えてみた。

その手始めに中国語の教師になってもらうことにした。週三日、一日二時間、一回のレッスン五十元、月六百元が彼女の手元にはいる勘定だ。彼女の役割は的を得て、まさに天職ではないかというくらい、教師の役割をこなしてくれた。教え方だけでなく、発音の響きもよかった。おかげで私の中国語は日ごとに進歩したと思っている。

しかし朝昼晩と一緒していると、どちらも甘えが出てくるもので、私が教科書を読んでいる脇でテレビを見るようになったり、雑談に花を咲かせたり、私は次第に授業に集中できなくなってきた。それになんといっても若すぎた。話題も友達の話、着るものの話し、美味しい店の話と、私には軽すぎた。おしゃべり好きは私を疲れさせもした。

私が本社ビルに移ったあと、彼女は元の職場に留まり、しばらくは授業を続けてみたものの、時にイライラが募った私は、彼女を叱ったりするようになり、疎ましく感じられるようになった。それでもついてくる彼女、今年の春節を前に、以後授業を続けるのをやめると告げた。

私が去った後、仕事場では手にする仕事もほとんどなく、暇をもてあましていた様子。インターネットのQQで雑談をして時間をこなすことが多くなったようだ。同時に仕事場でリストラ話が起こり、そんなことになる前にホテル部門への転職を勧めた。昨日がその第一日目、電話で「・・・デスクにパソコンも電話もない・・・」、と悲しげに告げてきた。今までが恵まれすぎていたのだと話をしたものの、私は胸が痛くなった。

[ 写真: かつて、活き活きとして私の部屋で家庭教師の最中に耳かきを使う元秘書。 ]

Wednesday, May 9, 2007

[廈門・337日] "老頭子"の友ー麗江の若造

私の仕事上のポジションは設計総監。私には何を意味しているのかよく分からない。どうやら設計の専門職ということらしい。言葉が不自由だ、中文の読み書きがままならない、などの理由からか、いわゆるマネージャという立場には立てないらしい。私はそれで満足しているのだが、昨年一緒に来た連中は総経理や副総経理などの肩書きを持ち、会社の経営会議に参加している。

この会議に提出する資料の作成が大変らしい。ボスから資料の承認をもらうのが至難の業だという。それゆえ、厄介な仕事のない私は恵まれているという。わたしにいわせれば、それがイヤならポストを代えてもらえばいいだけのことで、それができないなら愚痴はこぼさないでほしいといいたい。今日もそうだった。おかげで疲れがどっと出てきた。

私は、仕事はジョブでこなすのでなく、ロール、役割でこなすものだと思っている。だから専門家なのだ。麗江を担当している若造は、初めての副総経理という役割がこなせない。廈門に出張にきてはボスからさんざんに絞られている。彼にいわせると、不条理な絞り方だという。

幸か不幸か私はボスに絞られたことがない。しかし脇から聞いていると絞られていると思うらしい。ただ口うるさいだけで、内容は理にかなっている。不条理とは言い難い。日本にいたとき、ある大手不動産のプロジェクトに関係した。この会社の若造たちの口うるさかったこと、廈門のボス以上だった。それを思えばなんてことはない。いかにこの不条理を料理するか、それが楽しめないようでは、麗江の若造はまだヒヨッコだ。

不条理の仕打ちを受けたと口早に話したあと、ホテルのブッフェでローストビーフをたらふく口にしている姿は、先ほどの愚痴はどこ吹く風という様である。どう考えも彼は副総経理というポストを棄てられないだろう。ちなみに私の名刺には、総監と並列して建築師と記されている。私はそれで満足なのだ。なぜなら私の役割であり、他の人には代えられないものなのだから・・・。

[ 写真: 時には現場に出て、側溝蓋の品定めをしたりもする。グラスファイバーコンクリート製である。左の製品は右の約五割高だ。製品の選定を終えると、しっかりサインさせられる。「同意、ブリキネコ」。 ]

Tuesday, May 8, 2007

[廈門・336日] "老頭子"の友ーII

日本の韓流友達からメールが届いた。共通の知り合いのご主人が亡くなられたという。肺ガンだったそうだ。私の妻も同じ病で先立った。ここ廈門にいては、ご冥福をお祈りするより他にない。

その友人、skypeで私を呼び出すも、いっこうにつながらないという。念のためスカイプネームを伝えた途端、パソコンが鳴った。久しぶりの会話だ。彼曰く、「・・・退屈しない生活をおくられているようで・・・」心配する必要ないですねと。そう、このブログに登場する方々の多くが女性、彼はその件をさして発言したようだ。そういえばそうだな。そこで男性に登場していただくことにした。

いつも話題にされるボスや元ボスや老頭子や麗江の若造以外にも、男性の知り合いはいるのである。例えばこんな方はいかがだろうか・・・

会社は企業集団。各企業は企業ごとで仕事をこなしている。しかしここはいくつかの企業の集団である。この集団のすべてを仕切っている部門がある。影のボス直結の部門である。この副総経理とよく話をする。彼が私によく質問するのが、なぜプロジェクトのアプルーブがしばしばデレィされるのかということ。私は勿論分からない。二人して仕事の進行をああだこうだと裏読みし、きっとこういうことに違いない、なぞ勝手に想像したりしている。

あー、やはり男の知り合いの話はしにくい。どうしても仕事がらみになってしまう。話さなくてもいいことまで話してしまいそうだ。せいぜい運転手との馬鹿話、「ブリキ猫さん、長らく日本に戻っていないですね。見た感じ、気持ちが痒痒 ( yang3 yang5 むずむずする ) でっせ」、「どうです、300元で一緒に風呂入ってくれるのがありまっせ。一緒しませんか・・・」、なぞささやいてくるのを聞き流している方がいい。

[ 写真: 黄金週最後の日、マンションの敷地内を横断する子供たちの鼓笛隊。音が割れていない。しっかり訓練されているようだ。 ]

Monday, May 7, 2007

[廈門・335日] "老頭子"の友

"老頭子"は「クソジジイ」と訳すのが最適かと思ったのだが、これは何やらの禁止用語に該当するのだろうか。してもしなくても「クソジジイ」は響がいい。中国語の辞書でも、年老いたご亭主を、伴侶が"老頭子"と呼ぶと記されていた。日本でも同様な気がしたのだが・・・。

日本からやってきたクソジジイ、この友で、若く面倒見のいい人妻について話しておきたい。年齢二十九歳(こちらは数え年)。廈門に隣接する小さな農村の長女。下に弟、一人っ子政策は弟誕生頃から始まった。廈門大学で国際経営学を学び、卒業後いくつかの職場を渡り歩き、昨年五月、私に先立つこと一ヶ月前、今の会社に就職した。福建省随一の大学を卒業したからといって、恵まれた仕事を手にすることは至難の業らしい。そのくせ、彼女、自分が卒業した大学について素直に語らない。会社で働く多くの女性が廈門大学卒業だったりする。

なにしろ十三億の人口を抱えるこの国、一つの大学入学者が万にちかいというからすごい。当然社会に出てもこの数から逃れるわけにはいかない。まだビジネスの確立していない中国、ホワイトカラーの需要は細い。ここ廈門、多くの、大学はもちろん、高卒なぞ思いもつかない若者のなんと多いことか。会社が所有するホテル付近一帯、建設現場が多いこともあって、昼時、退社時、肉体労働に従事する全中国各地からやってきた若者たちがぞろぞろとわき出してくる。十三億という数は想像を絶するだろう。

十六の時、地元で今のご亭主と知り合い、十年間付き合った末結婚、三十才を前に子供を産む段取りをした。法的な結婚が遅れるのは経済的理由、共稼ぎでなんとか家の購入ができれば正式に結婚したい。多くの若夫婦がこのような人生設計しているという。結婚式は挙げていない。私の住む高級住宅地に近いマンションを夫婦共同で購入、自分で室内設計をし、それがまた簡素で品がいい。元ボスも同じマンションに住んでいるが、その内装とは一線を画する。部屋も五十坪と広々としている。購入時、ひと坪二万元(日本円約三十万)だったのが、今では倍近くに跳ね上がっているらしい。廈門の住宅の価格はひたすら高騰しているのだ。

彼女、こよなく美しくありたいと願うご婦人。しかし、先日はウィンドウショッピングに留め、あと一年、出産まで、ほしい衣装に手を出すこともできないと嘆いていた。そんな魅力的な彼女に忠告するとしたら、つっけんどんな話し方と、雪駄履きの歩き方はなおした方がいいということか・・・。

(注:「雪駄履きの歩き方」とは、下町の若衆やその筋の方々が足を外側に投げ出すようにして歩く様。こちらでは目にしたことがなかった。)

[ 写真: 先々日は五月五日、こどもの日である。まな娘が送ってきた写真。息子のぶっとい足である。しっかりと自分を支えている。亭主がプロサッカー選手を目指したこともあって、この足をいたく気に入っているという。 ]

Sunday, May 6, 2007

[廈門・334日] Skypeの友

廈門にきては日本の友人や我がまな娘との電話交流が多いだろうと想像し、電話代節約にはスカイプが最適だろうと、日本にいるときから準備を整えていた。にもかかわらず、電話交流は一方通行で、スカイプの友の実に少ないことを知らされた。昨年十一月に発送した移転通知にも、スカイプネームを記しておいたのだが、いっさい反応無しということは、スカイプユーザーが少ないからだろう。

中国人は「交流」が生き甲斐の方々である。何がなくとも人と人。コネクションの世界である。仕事中であろうと、彼らの交流はインターネット上で万端行われている。利用しているのはMSMessenger、こちらでQQ、手が空けば誰かとチャットしている。以前私もしばらくかよったホテルの事務所では、あまりにもQQでの井戸端会議がひどすぎるということで、元ボスがインターネット接続を切ってしまった。まあそれでは仕事にも差し支えるということで、二三日で復活してしまったらしい。

わたしはQQを使いたくない。でスカイプの登場だ。いや、こちらでは、というか中国人はスカイピと称する。元々の英語の発音がどんなものか知らないので、スカイプをスカイピと呼んでいる。響がなにやら滑稽に聞こえる。そのスカイピ、私との交流を求めてかかってくるのが、実にうら若き女性たち。スカイプネームも日本文、つまり日本語を勉強している学生たち。

彼女たち、なかには半年の勉強というものの、そこそこ日本語になっている。成都の大学生、彼女は十分会話になっている。私を君付けで呼んだりするお嬢さんもいたりする。諭そうかなと思ったりする。君づけは仲間同士で使うもの、年上の人に使うものではないんだよ、と考えるも、私もスカイプ・プロフィールで年齢を誤魔化しているので、強くは指摘できない弱みがあったりする。彼女たちの多くはプロフィールに自慢の自画像を載せたり、Skypeビデオを開いていたりする。

彼らのささやかな国際交流、日本人との交流に欠かせない日本語、彼らはインターネットの利点を最大限利用して、日々これ日本語学習に励んでいる。日本の若者も、とじた日本の携帯メールに留まらず、彼女たちのように個人的国際交流を試みてみるのもいいのではないかなぞと教育じみたことを考えたりしてみた。

[ 写真: 先日のblog記事、「いじりたおす」でお話しした元中国語老師との「交流」メールの一部。「鳩鳩」はわたしのこと、中国語でjijiと発音する。 ]

Saturday, May 5, 2007

[廈門・333日] ”抗日”の友

黄金週(ゴールデンウィーク)五日目。一昨日に続き携帯をどう使いたおすかあれこれいじくっていた午前九時半、その携帯が鳴った。久しぶりに若く口うるさく面倒見のいい人妻からだ。彼女、去った辣腕総経理のお気に入りで、朝から退社まで忙しい毎日を過ごしていた。その総経理がいなくなったため、暇ができ、「退屈だー退屈だー」といっては私のデスクにやってきていた。なにしろ動いていないと気が済まない、何かしていないとイライラするという、実に働き者なのである。

働き者、仕事の要領がよい、面倒見がいい、そしてかわいらしい。いうことがないといいたいのだが、すべてがすべて完璧なぞあり得ない。彼女、実に口うるさい。そしてとてもキツイ。一寸私がどたばたすると、「この日本のクソジジイ!なにしてんのよ!」、と横から口を出して手伝ってくれる。どこか東京下町のおねーさんを思い出させる。そんなこんなで私も辣腕総経理同様彼女を気に入っている。そのおねーさんから電話が入った。

「何してるの!中山路で買い物、付き合って!」
「雨だぜー、やだよー」
「こんな雨どってことないでしょ!早く早く!」
「えーと、歯磨いて、シャワー浴びて、ほぼ一時間・・・」
「早くしなさい!」

こんな調子で彼女に付き合って買い物天国に出かけてきた。一軒の眼鏡屋のショーウィンドウに「炎炎夏日、全民”抗日”」。一体何事かとのぞき込むと、脇から若き人妻が笑って教えてくれた。ここでいう"抗日"とは、太陽の日射しを坑けるという意味なのだそうだ。サングラスの宣伝だった。

[ 写真: 眼鏡屋からいただいたティッシュ。懐かしい人民軍の挿絵、宣伝ビラを配る少女の腕に赤い布、たくましい男性がかざす本には眼鏡屋の名前とマスコットボーイの画、背景にでかく真っ赤な太陽が。 ]

Friday, May 4, 2007

[廈門・332日] いじりたおす

おっと、余計なことをしていたらblog更新が翌日の日付になってしまいそう。で急遽キーボードを叩き始めた次第です。余計なこととは、こちらで使っている携帯電話をいじっていたこと。携帯電話に届くメールはパソコンに保存できないらしい。いや私にはできない。できるのかもしれないが、一件一件ブルーツースでおくったり、なにやらかんやら。面倒くさい。

ウェッブ上で携帯ソフトを探していたところ、手頃なのが見つかった。テキストデーターに変換、そのままパソコンにおくってくれる。なぜ保存したいのか、なかには面白いやり取りがあったり、切ない話が届いたり、これは残しておきたいというのがあるのだ。ほんの少し前、我が中文の老師が、授業中に私の携帯をいじっていた。何をしているのかと思いきや、彼女が私にかけてきた電話のログやメールを消し去ろうとしていたのだ。

私はいたく怒った。どうあれ彼女とのささやかな交流の記録である。彼女が消し去りたい理由はあるだろうが、私はいたく怒ったのである。「・・・いやしくも大学を卒業した高学歴の人間がなんということだ!中国人は見なそうなのか!・・・」、なぞなぞその場の勢いで強く諭したのである。

それ以降、わたしは電話のログとメールはこまめにパソコンに保存していたのだが、まあ面倒くさいことこの上ない。で手頃なソフトを導入、いとも簡単にデーター転送が可能になった。携帯は買い換えることができるが、記録はそう易々と元に戻らないのである。

[ 写真: 本文とは全く関係のない写真である。先日、インドフリークのシンさんから届いた絵はがきである。文中には、インドも変わりつつあることを絵はがきの写真から伝えてくれた。少しずつ、少しずつどこもかしこも動いているようだ。 ]

Thursday, May 3, 2007

[廈門・331日] 夏の陽光

口悪しき日本の友人からメールが届いた。「ソチラにはゴールデン ウィーク何てものは無いんだわネ~?」。ところがしっかりあるのです。その名も「黄金週」。こちらに来て、この黄金週で、国の指定した休日すべてを体験したことになる。「国慶節」、「春節」、どれもほぼ一週間の休み、そして私はすべてこの地で、それもどこかに出かけるわけでもなく、ただただのんべんだらりんと時間を浪費した。

「黄金週」は快晴で始まった。四月末までは小雨がぱらついたり、雷雨だったのが、爽やかな風と空気の三日間である。バルコニーにでれば、すでに日射しは夏。それでも空気はひんやり。実に気分がいい。夏の名残が続く「国慶節」、じめじめとうっとおしい「春節」とは大違いだ。にもかかわらずマンションから出かけないのがこちらの友人たちは不思議でならないらしい。私にもわからない。

電話がかかってくるわけでも無し、休み無しの現場からの連絡も無し、半分期待していた小姑娘が訪れる気配も無し。テレビを見るわけでもなし、溜まったDVDもほったらかしである。退屈すればソリティアで遊び、六千五百点を超え、自己満足している。何ともはやこのクソジジイの偏屈なことおびただしい。

夕飯に昨日つくった焼きめしの残りを口にし、お嬢さんが来たときのため下の露天商で購入しておいたマンゴーを食する。黄金週のささやかな三日目がこれで終わることになる。

さて、明日はどう過ごそうか、日本から届いたまま溜まった手紙の返事でも書き記そうか、それともソリティアを続けるか・・・。

[ 写真: 部屋の白い大理石にくっきり影ができている。空気が澄んでいる証拠だ。 ]

Wednesday, May 2, 2007

[廈門・330日] 気がつけば運転手が

先日のblogで追われた運転手と記した。昨日、その運転手とばったり顔を合わせた。時は昼飯時、労働節の休みを誰からも相手にされずにいる老頭子二人、連絡を取り合って羊肉麺を食しながら、例のごとく会社のあれこれについて話し合っていた。とそこに例の運転手が声を掛けてきた。あれおれかれと握手をし、職はどうした探し当てたか、例の総経理は去ったぞ、私は以前と違ってとても忙しいぞ、などなど近況を告げたところである。不思議な縁というものだ。少しばかり痩せていたものの、血色はよく、老頭子二人は安心して彼と別れた。

別れたあと、二人の老頭子、例のごとく珈琲店に足を向けた。会社のあれこれをまた話し続けるためだ。井戸端会議に近い。意味もない長電話に近い。彼が話し続け、私が聞き続ける、いつもの光景である。

珈琲を注文に来た色黒で背が低くメンタマのやたらでかい小姑娘 ( xiao3 gu1 nian2 年かさのいかない女の子 ) に声を掛ける老頭子。「オー君がトレーシーか」。オイオイオイ、なぜ彼女の名前を知っているのだ。そう、麗江の若造が来たとき声を掛けた女の子が話してたっけ、「・・・えー、あなたは日本人ですかー。店に日本語を勉強している子がいるんですよー・・・」。彼はその話と彼女が語った小姑娘の容姿を覚えていたのである。私も定かでない会話をたぐり寄せ、「そーかー、君かー、でいつ(日本語で)おしゃべりする?」。私もいい気なものである。気軽に誘ってみる。

その色黒チビ助が今日家にやってくる。本当に顔を出すかはわからない。暇な一週間である。老頭子が、孫のような小姑娘と、テラスに椅子を出し、夏間近な陽光を浴びながら雑談する、それもいいだろう。

で夜、この縁結びを手伝ってくれたもう一人の老頭子から電話が入った。結果はどうだったの?彼も気になっていたようだ。うら若き女性が一人老頭子と二人きりの光景を思い浮かべ、心配していたようだ。結果を述べれば、昼過ぎ、色黒チビ助から電話が入り、今日は用があっていけないと告げてきた。電話で断りを入れただけもう一人の小姑娘よりましである。優しく応対し、別れの言葉をかけた。

[ 写真: 開工式の一こま。かつての秘書であり、中国語教師であり、よき仲間だったさらにもう一人の小姑娘と、四百年のガジュマルと。左端は部屋の掃除に来てくれるおねーさん。 ]

Tuesday, May 1, 2007

[廈門・329日] 気がつけばあとひと月で一年目

住めば都とはよく言ったものだ。昨年の六月八日にこちらにやってきてからまもなく一年を迎える。一年前、千葉の片田舎で猫と縁側でうたた寝していたことが嘘のようである。今ではしっかり都会生活者になりかわっている。それにしても廈門は過ごしやすい都だ。機会を与えてくれた元ボスに感謝である。

その元ボス、権力争いに敗れてからというもの、ひねくれた日々を送っていた。毎日どこに出かけているのかもわからず、ボスはあの手この手で探るも探しあぐねるほどである。しかし人間他愛のないもので、裏ボスから給与を上乗せされた途端、我々とほぼ同じ時間に出勤するようになった。かつての男気はどこに行ってしまったのか。

先週まで、麗江の若造がボスのサインをもらいにこちらに来ていた。ところが、なぜかボスからサインがもらえない。ふててふてて、で、老頭子 ( lao3 tou2 zi5 クソジジイ ) 二人が慰めに珈琲店で話を聞いてあげる。ところが若造、店の若い子にさっさと声を掛けて携帯の電話番号を聞き出している。脳みそが疲れる疲れるといっているわりには下半身はしっかりしているようだ。

若造、結局ボスからサインをもらえず、ふてまくってさっさと労働節の休みで台湾に戻っていった。しかし若造も然る者で、飛行機の出発時間はるか前に会社を出て行った。昨日声を掛けたコーヒーショップの女性と昼飯をとるらしい。

翌日、老頭子二人、この珈琲店を訪れた。彼女にどうだった?と声を掛けてみると、しっかり知らんぷりである。携帯電話は別人の番号を教えていたのだ。彼女もしっかりしている。そりゃそうだ、店の客に声を掛けられただけでいそいそ出かけるほどこちらの女性はアホではないのだ。

というわけで今日は労働節。全く縁のない休日である。夜景だけがやけに賑やかだった。

[ 写真: 廈門はまだまだ発展の最中らしい。ネオンの勢いは日ごとに増してきている。それに呼応するように車の渋滞も日々発展中である。 ]